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「長井一郎」とは別人です。
ながい いちろう
永井 一郎
1962年
プロフィール
本名永井 一郎[1][2]
愛称永井ちゃん[3]
性別男性
出身地 日本・大阪府池田市[4][5][6]
死没地 日本・広島県広島市中区[7]
生年月日 (1931-05-10) 1931年5月10日
没年月日 (2014-01-27) 2014年1月27日(82歳没)
血液型A型[8]
職業声優、俳優、ナレーター[9]
事務所青二プロダクション(最終所属)[10]
配偶者あり[11]
公式サイト永井 一郎|株式会社青二プロダクション
永井 一郎(ながい いちろう、1931年〈昭和6年〉5月10日[2] - 2014年〈平成26年〉1月27日[15])は、日本の俳優、声優、ナレーター[9]である。大阪府池田市出身[4][5][6]。青二プロダクション最終所属[10]。
『サザエさん』の磯野波平役[7][15][16]など数多くの作品に出演し、日本声優界の重鎮の1人として知られた[17][18]。 大阪第二師範学校(男子部)附属国民学校(現在の大阪教育大学附属池田小学校)卒業[5]。大阪府立池田高等学校卒業(入学時は学制改革前の旧制中学校「大阪府立池田中学校」)[19]。京都大学文学部仏文科卒業[4][5]。 幼少時代は通信簿に「栄養に注意を要す」と書かれていたほど好き嫌いが激しく、体が小さかったという[4]。両親はあまりガミガミ叱らず、「自由に育ててくれた」と語り、あまり動じないで、じっと見ていてくれていたという[4]。 小学校時代は勉強のことなど考えていなかった[4]。その時の担任の女性教師が黒板にきれいな字を書いており、何事もきちんとやるということを教えてくれたもらった気がしていたという[4]。 戦争中だったため、小学校時代の同級生は皆「将来は大臣になりたい」、「兵隊になりたい」などと言っていたが、永井は兵隊になるのは嫌だった[4]。友人と「戦死せずにすむ職業はないか」と話をしていたところ、「技術将校というのがあるよ」ということで、「そうか、それにしよう」と思った[4]。ただし、口ではそう言っていたが、実際に「なりたい」とは思っておらず、小学生の時は「何になりたいか」と考えたことがなかったという[4]。 元々映画が好きであり、中学4年生の時に受験勉強しながら1年間に432本映画を観ていたという[2]。子供の頃は数学者になるつもりであり、旧制高校の理科に進学[2]。 大学も理科に進学するつもりだったが、図学の2題だけの試験であるxyzの方程式を三次元の図に書き表す問題が2題とも出来なかった[2][20]。それがショックであり、「これは才能がない。やめたほうがいい」と思い、当初は京都大学理学部に願書を出していたが、急遽取りやめにして、京都大学文学部に出し直したという[2][20]。 大学進学時、それまで学んだ理系から文系に変わったところ暇を持て余すようになったといい、そんな中で同級生に誘われたことを機に演劇部へ入部[21]。それまでは芝居に特別興味はなかったが、様々な芝居を観て「うわぁ、世の中にこんなにおもしろいものがあるんだ」、「芝居って面白い!こんな世界があるんだ」と感銘を受けて役者を志す[21][14][22]。その後、就職活動はしたものの全て不採用となったこともあり、卒業後は役者を志して上京[20][21][22]。
生涯
生い立ち