永井一郎
[Wikipedia|▼Menu]
その後、就職活動はしたものの全て不採用となったこともあり、卒業後は役者を志して上京[20][21][22]

新劇俳優を目指し、当時「三大劇団」と言われた内の二つである文学座劇団民藝を受けるも不合格となる[21]。もう一つの俳優座を受ける気力もなくなったことで、約2年間は電通に勤務[注 1]しながら俳優の養成所に通う[14][21][20]。養成所卒業後、愛川欽也ら俳優座の3期生が集まって結成した劇団三期会に参加[20]
キャリア

三期会では実年齢が25歳と最年長だったため、この舞台から中年や老人の役を始めるようになる[20][21][22]

1956年、ラジオドラマ『少年宮本武蔵』でデビュー[13]。声優活動は、三期会がアメリカのテレビ映画スーパーマン』の吹き替えにユニットで出演していたため始めるようになったという[20][21]。その後、吹き替え業界で「年寄りの役ができるヤツ」として知られるようになり[21]、特に1959年開始の海外ドラマローハイド』のウィッシュボーン役が老け役専門になる決定的な出来事で出世作となる。以後、声優の仕事でスケジュールが埋まり、舞台や映画の仕事をやれなくなったことで、自然と声優に専念するようになっていった[20][21]

アニメ作品では、1962年の劇場用作品『アラビアンナイト・シンドバッドの冒険』(東映動画)でのアーマッド役が初めての出演だった。テレビアニメには『仙人部落』でデビューし『鉄腕アトム』にも出演[21]。1964年の『ビッグX』の博士役が初のレギュラー出演となり、黎明期から活躍。1969年から長年演じた『サザエさん』の磯野波平役が代表作となった[16]

所属事務所は劇団三期会、東京俳優生活協同組合同人舎プロダクション、東京アーチストプロを経て、青二プロダクションに創立メンバーとして所属していた[8][24]

2009年、第3回声優アワード功労賞を受賞[25]2011年東京アニメアワードでは、功労賞を受賞[26]
死去

2014年1月27日12時半頃、宿泊していた広島県広島市中区のホテルの浴槽で倒れているところを従業員に発見され、病院へ運ばれたが、間もなく死亡が確認された[7][15]。満82歳没(享年84)。所属事務所より、死因は虚血性心疾患による心不全と発表された[27]

永井は死去の前日から27日にかけ、中国放送製作の特番『世界が知りたいニッポンの技 ?美と食の匠たち・・・ひろしま篇?』[注 2]のナレーション収録のため広島市を訪れており[7][16]、これが生前最後の仕事となった[29]。また、同番組のエンディングには追悼のテロップが流れた[29]。磯野波平を演じていた『サザエさん』は、同年2月9日放送分(1月23日収録)が最後の出演となった[16]

戒名は「壽聖院勲譽一叡聲導居士」(じゅしょういんくんよいちえいせいどうこじ)で、「周りの人々をほのぼのと温かく豊かに見守り、声によって救い導く」という意味が込められている。通夜は2月2日18時から営まれた[30]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:302 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef