氷河時代
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ポンゴラヒューロン氷成紀アンデスカルー第四紀軸単位: 百万年前

灰色:氷河時代.
地質時代人類の生活史年表も参照.

1742年にジュネーヴ在住の技師で地理学者の Pierre Martel (1706?1767) は、サヴォワアルプス山脈にあるシャモニーの渓谷を訪れた[14][15]。2年後に旅の報告書が出版され、渓谷の住民が、迷子石の散布の原因が氷河にあると考え、かつて氷河がより遠くまで広がっていたと述べたことが報告されている[16][17]。後に同様の説明が他のアルプス地方の各地からも報告された。1815年に、大工でシャモア猟師の Jean-Pierre Perraudin (1767?1858) は、スイスのヴァレー州のヴァル・ド・バーニュにある迷子石は以前もっと遠くまで達していた氷河によって運ばれてきたものであると説明した[18]。1834年には、ベルナー・オーバーラントのマイリンゲン出身の無名の木こりも、スイス系ドイツ人の地質学者ジャン・ド・シャルパンティエ(英語版) (1786?1855) との議論の中で、同様のアイデアを主張した[19]。ヴァレー州のヴァル・ド・フェレ、スイス西部のゼーラントから[20]、そしてゲーテの科学的著作(英語版)[21]のほか、世界各地で似通った説明がなされている。バイエルンの博物学者エルンスト・フォン・ビブラ(英語版) (1806?1878) が1849年から1850年にかけてチリアンデス山脈を訪れたとき、現地の住民は、化石化したモレーンは過去の氷河作用によるものと考えたそうである[22]

一方では、ヨーロッパの学者たちは何が漂移性物質(迷子石など)の散布を引き起こしたのだろうかと考え始めた。18世紀の中頃から、一部の者は運搬手段の一つとしての氷河について討論した。スウェーデンの鉱山技師 Daniel Tilas (1712?1772) は、1742年に、スカンディナビア地方とバルト地方の迷子石の存在を説明するために海氷の漂積を提案した最初の人物だった[23]。1795年にスコットランドの哲学者で博物学者のジェームズ・ハットン (1726?1797) は、アルプス山脈の迷子石は氷河の作用によるものだと説明した[24]。それからおよそ20年後の1818年、スウェーデンの植物学者ヨーラン・ヴァーレンベリ (1780?1851) は、スカンディナビア半島の氷河作用の理論を発表した。彼は氷河作用を地域的な現象と考えた[25]

そのわずか数年後、デンマーク系ノルウェー人の地質学者イェンス・エスマルク(英語版) (1762?1839) は、一連の世界規模の氷河時代について主張した。1824年に発表した論文の中で、エスマルクは気候変動が氷河時代の原因であると提唱した。彼は氷河時代が地球軌道の変化から生じたということを示そうとした[26]。それから数年の間に、エスマルクの発想は、スウェーデン、スコットランド、ドイツの科学者らに分けて討論され、引き継がれた。ノルウェーの氷河学者ビョルン・G・アンデルセン(英語版) (1992) の批評によると、エディンバラ大学のロバート・ジェイムソン (1774?1854) はエスマルクのアイデアに対して比較的好意的だったようだという[27]。スコットランドの古代の氷河についてのジェイムソンの所見は、ほとんどおそらくエスマルクに刺激されたものだった[28]。ドイツでは、ドライスィヒャッカーのアカデミーで森林学の教鞭をとっていた地質学者のラインハルト・ベルンハルディ(ドイツ語版) (1797?1849) が、テューリンゲン南部の都市マイニンゲンでの観察研究により氷河時代の存在を示す証拠が具体化されたことで、エスマルクの学説を受け入れた。


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