である。ウィクショナリーの「みず」の項も参照 水の概念を自然科学的に拡張して、化学式で H 2 O {\displaystyle {\ce {H2O}}} と表現できる物質を広義の「水」とすれば、固体は氷、液体は水、気体は水蒸気、ということになる。 IUPAC系統名はオキシダン (oxidane) だが、ほとんど用いられない。また、一酸化二水素、酸化水素、水酸、水酸化水素といった呼び方をすることも可能である。(→水素化物) 不純物をほとんど含まない水を「純水」と呼ぶ(たとえば、加熱してできた水蒸気を凝結した蒸留水など)。特に純度の高い水は「超純水」という呼称もある。 水の化学式 H 2 O {\displaystyle {\ce {H2O}}} の水素が2つとも同位体の重水素である水を重水と呼び、化学式 D 2 O {\displaystyle {\ce {D2O}}} で表す。水素の1つが重水素であり、もう1つが軽水素である水は、半重水と呼び、 DHO {\displaystyle {\ce {DHO}}} で表す。水素の1つが三重水素(トリチウム)である水は、トリチウム水(または三重水素水)と呼び、 HTO {\displaystyle {\ce {HTO}}} で表す。重水・半重水とトリチウム水を併せ、さらに酸素の同位体と水素の化合物である水も含めて、単に重水と呼ぶこともある。この広義の重水に対して、普通の水は、軽水と呼ばれる。 軽水と重水は電子状態が同じなので、化学的性質は等しい。しかし、質量が2倍、3倍となる水素の同位体の化合物である水では、結合や解離反応の速度などの物性に顕著な差が表れる。(→速度論的同位体効果) 気象に関する用語では、水の粒の大きさによって、霧や靄(もや)と呼ぶ(これらを総称した一般用語として霞もある)。それらが上空にある状態では、雲と呼ぶ。雲から凝縮して大きめの水滴となって地上に落ちてくる水は雨と呼ぶ。上空で水蒸気が凝固して結晶となった氷は雪と呼ばれ、一体の結晶になっていない粒は、大きさによって霰(あられ)や雹(ひょう)と呼ぶ。それらが水と混合した状態になっていれば、霙(みぞれ)と呼ばれる。 古代ギリシアの哲学者、一般に最初の哲学者とされる、紀元前6世紀頃の人物ミレトスのタレスは、万物の根源アルケーを探求する中で「アルケーは水である」と述べたと伝えられている[3][注 6]。 同じく古代ギリシアのエンペドクレスは、火、空気、水、土(古代ギリシア語: πυρ, α?ρ, ?δωρ, γη[注 7]、ギリシア語: φωτι?, α?ρα?, νερ?, γη、羅: ignis, aer, aqua, terra)を4つのリゾーマタ(古代ギリシア語: ?ιζ?ματα、「根の物質」の意で今日の元素のこと)とし、それの集合や離散によって自然界のできごとを説明する、いわゆる四元素説を唱えた[3]。これはアリストテレスに継承された。 古代インドでも、地、水、火、風 およびこれに空を加えた五大の思想が唱えられていた[3]。また中国においても、万物は木・火・土・金・水の5種類の元素から成るとする五行説が唱えられた。 つまり、洋の東西を問わず、水は、基本的な4?5種の元素の1つだと考えられていた。こうした水の理解は、2000年以上、18世紀後半の時点でも、ごく一般的であった。 こうした理解に変化が生じ始めたのは18世紀末である[3]。人類の歴史の中で見ても、ごく最近のことである。18世紀末に、キャベンディッシュが、金属と酸とが反応した時に、軽い謎の気体(現在では水素と呼ばれているもの)が発生し、それは簡単に燃えて水になることを発見した[3]。また、ラボアジエが、この燃焼で化合する相手が空気中の酸素であることを確かめた[3]。これによって「水は元素ではなかった」という考え方が登場した。ただし、ラボアジエの実験があっても、人々の考え方が直ちに変化したわけではない。人々や学者らもおおむね四元素の考え方をそれまでどおり用いていた、と科学史家たちは指摘している。18世紀までの文献に現れる「aqua」「water」「水」などは、基本元素としての水であると理解するのが妥当である。 その後、19世紀初頭、イギリスのドルトンが実験の結果、水素と酸素が重量比で1:7で化合するとし(後に正しくは1:8と判明)、1805年にはゲイ・リュサックやフンボルトなどがそれぞれ、体積比で2:1で化合することを見出した[3]。さらに1811年に、アボガドロが分子説を唱え、その枠組みの中で水の分子が H 2 O {\displaystyle {\ce {H2O}}} と定められた。この19世紀の初頭に、西欧の学者たちの水の理解が変わったと科学史家らによって指摘されており、同世紀を通して一般の人々の理解も変化していったと考えてよい[注 8]。 分子説の成立と共にあったという点などで、水は近代化学の発展のきっかけを作った物質である[3]。この時期は、おおむねphilosophia(哲学)を母胎としてscientia(科学)が生まれつつあった時期と一致している。こうした新しい独特の哲学を行う人の数が徐々に増え、彼らが自分達のことを他の哲学者と区別するためにscientist(科学者)という用語がヒューウェルによって1833年に造語され その使用が提唱された。
自然科学での呼び分け
気象用語
水の知識の歴史概略
古代から18世紀まで
19世紀
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17世紀初頭 - ベルギーのファン・ヘルモントは植物成長に関する実験により、水を元素と結論づけた。あらかじめ重量を測定した鉢植えに水だけを与え、4年後に重量を測定すると重量が増加していた。すなわち水元素が木元素に変換したことになる。ヘルモントはガスという用語を作り出した。ビールの発酵、石炭の燃焼、炭酸塩から発生するガスが全て同じ物質であり、命名もしていたが、彼自身の実験と彼のガスの関係には気づいていなかった。
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