水谷豊
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1976年には長谷川和彦の監督映画『青春の殺人者』でキネマ旬報賞主演男優賞を最年少で受賞する[11]

1977年に放送された実相寺昭雄岸田森が演出した水谷豊のCMでの「アラン・ドロンかな?」というセリフが流行語になった[12]

同年の『赤い激流』でピアニスト役を演じた。35万円でピアノを購入、全くの素人だったが猛練習の末、4日目には「エリーゼのために」を全曲弾けるようになりピアノの先生に驚かれた事を自慢としている[13]。『赤い激流』で「英雄ポロネーズ」を弾いたが、『相棒』シーズン3第15話「殺しのピアノ」(2005年)で再び同じ曲を弾く場面を演じる事となった。

1978年10月、最高視聴率46.7%を記録したドラマ『熱中時代(教師編)』の主演で大ブレイク、視聴率の取れるテレビ界の有名俳優となった。主人公・北野広大のキャラクターが「理想の教師像」として社会現象となったり、特徴的な訛りのある口調が流行となるなど、ファンの幅を広げた。この人気を受けて『熱中時代』のタイトルだけを継承し、設定を一新した『熱中時代(刑事編)』もその後放送された。更に『教師編』は後に続編が1作、単発の2時間スペシャルドラマが3本作られた。武田鉄矢は「金八先生のライバルだった小学校教師」と言っている(なお、後に水谷の娘趣里は、2011年にオーディションを経て『3年B組金八先生ファイナル?「最後の贈る言葉」4時間SP』(TBSテレビ)で女優デビューしており、実年齢より5歳下で、坂本金八に恋する中学生の役を演じているが、この時、武田鉄矢は「金八のライバルだった小学校教師の娘」と表現している)。

1981年には久々の映画『幸福』で、長年望んでいた市川崑の監督作品に主演。二人の子供を持つ、実年齢よりかなり上の刑事役を落ち着いた演技でこなし(翌々年の『逃れの街』では若者の役に戻っている)後年につながる新境地を示す。5年ぶりの主演映画は前作のキネマ旬報ベストテン1位に続いて同6位に入選する高評価を受けた。
1990年代以降

2時間ドラマ(『地方記者・立花陽介』、『探偵 左文字進』など)もシリーズ化され、『刑事貴族』や『相棒』といったレギュラードラマで主演俳優を務め、今なお、幅広い層から支持を受けている。

2008年5月10日、『相棒』においての演技が評価され同じく主演を務める寺脇と共に第16回橋田賞俳優部門を受賞した[14]

2008年12月10日平成20年度の『ゆうもあ大賞』(理事長 大村崑)を受賞[15]、副賞の「舞昆」の京風おせちを受け取ると「正月に蘭さんといただきます」と、照れながら受賞コメントを述べた。

2009年9月12日に放送されたスペシャルドラマ『だましゑ歌麿』で17年ぶりに時代劇に出演したが、水谷は「周囲から『時代劇と戦争物は似合わない』と思われているんじゃないかと思っていた」という[16]。その後、好評を博した本作は、続編が制作され、2012年9月15日に第2作、2013年7月27日に第3作が放送された。

2009年1月27日深夜、自宅で半開きのドアに額をぶつけ出血。自力で自宅近くの病院に直行し患部を7、8針縫う事態となったが、撮影スケジュールに支障をきたすことなく大事に至らなかった[17]
2010年代

2011年4月27日、第139回直木賞候補にもなった荻原浩の家族小説『愛しの座敷わらし』の映画化と、主人公の高橋晃一役を演じることが発表された。監督は『相棒』シリーズの和泉聖治。映画への単独主演は1983年公開の『逃がれの街』以来29年ぶりとなる。原作を気に入った水谷が和泉に映画化企画を打診し、快諾を得たことで実現した。撮影スタッフの大半は『相棒』チームで構成されており、「いつも通り」だったという[18]

2011年、第24回日本メガネベストドレッサー賞芸能界部門を受賞[19]

2012年3月8日、ミリオンセラーを記録した妹尾河童初の自伝的長編小説『少年H』の映画化が発表され、この作品で水谷と妻の伊藤蘭がテレビドラマ『事件記者チャボ!』以来、28年ぶりに共演することと、結婚後初の夫婦共演にして夫婦役を務めることが併せて発表された[20]
映画監督

2017年公開の主演映画『TAP THE LAST SHOW』で監督デビュー[21]

2019年公開の監督2作目『轢き逃げ 最高の最悪な日』では脚本も手がける[22][23]。同作のインタビューで尊敬する監督に『十二人の怒れる男』や『セルピコ』『狼たちの午後』などで知られるシドニー・ルメットビリー・ワイルダー俺たちに明日はないアーサー・ペンクリント・イーストウッドを挙げ、若いころに影響を受けた好きな役者にマーロン・ブランドアル・パチーノロバート・デニーロダスティン・ホフマンジャック・ニコルソンポール・ニューマンロバート・レッドフォードウォーレン・ベイティなどを挙げた[24]
音楽活動

1975年、萩原のソロ・アルバム「兄貴のブギ」にゲスト参加している。

1977年「はーばーらいと」(作詞:松本隆、作曲:井上陽水)で歌手デビュー。「表参道軟派ストリート」(作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童)、『熱中時代・刑事編』主題歌の「カリフォルニア・コネクション」(作詞:阿木燿子、作曲:平尾昌晃)をヒットさせる。

1986年「Unlimited Night Concert」を最後に音楽活動を休止。水谷曰く「芝居の台詞と違って、決められたリズムの中で歌わなければいけない音楽の世界では歌の主人公のイメージが充分表現しきれていない。しかし、コンサート会場はいつもいっぱいでそんな現実と自分の想いのギャップに違和感を覚えていた」ため。

2008年3月、22年ぶりに音楽活動を再開。5月14日、代表曲「カリフォルニア・コネクション」などを中心にセルフカバーしたアルバム『TIME CAPSULE』を発売。5月18日にはラゾーナ川崎PLAZAルーファ広場グランドステージで『TIME CAPSULE』発売記念イベントを開催、トークのほか「カリフォルニア・コネクション」「やさしさ紙芝居」「何んて優しい時代」の3曲を歌い、22年のブランクを感じさせない歌声を披露した。会場は約1万人のファンで5階テラスまで埋め尽くされ、観客の中には水谷本人の意向により、『熱中時代』先生編第1シリーズで主題歌「ぼくの先生はフィーバー」を歌い、第10話にゲスト出演した原田潤が招待されている。これらの模様は翌日、各局の芸能ニュースで放送された。同アルバムはオリコンアルバムチャート初登場2位を記録する大ヒットとなり、年末放送の第50回日本レコード大賞にて企画賞を受賞。「若い頃の歌なのに、55歳という年齢になってようやく歌の世界がイメージできるようになってきた」と語っている。11月25日第59回NHK紅白歌合戦に初出場が決定。発表の席は欠席したがVTRで登場。当たり役でもある杉下右京を髣髴とさせる演技を交えながらコメントを述べた。大晦日の第59回NHK紅白歌合戦にデビュー32年目にして初出演、「カリフォルニア・コネクション」を歌唱した[25]

2009年6月25日 から7月19日にかけて、23年ぶりとなるコンサートツアー『水谷豊コンサート TIME CAPSULE ツアー 2009』を開催。厚木市文化会館を皮切りにファイナルの東京厚生年金会館まで10都市13公演を行った。
実業家

2023年11月、10月に娘・趣里と2人で新会社(Trysome Bros.LLC合同会社)を立ち上げていたことを週刊文春で報じられた[1]


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