水谷豊
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2年間のブランクを経て1972年泣くな青春』(フジテレビ)で芸能活動を再開[5]。7月スタートの日本テレビのドラマ『太陽にほえろ!』第1回に犯人役で出演[注釈 2]

その後、小学校・中学校時代からの同級生であり、学園ものの撮影で一緒になったコントロールプロダクションの女性会長が、夫である日本テレビプロデューサーに『傷だらけの天使』に推薦し「もう一度役者をやらないか」と誘われ、アルバイト感覚で役者の世界に戻った。1974年10月、萩原健一主演の『傷だらけの天使』への出演が決定。

最初に萩原の相手役候補に名前が挙がったのは、火野正平だった[8]。だが、火野は大河の『国盗り物語』で人気になった直後のためスケジュールが取れず、面接した監督の恩地日出夫もイメージが違うと判断した。そこで萩原が『太陽にほえろ!』第1話で共演した水谷を推薦し、抜擢された。水谷は俳優として不遇な時期が何年も続き、そのころ俳優を辞めようと思っていたという[9]。萩原は「豊ちゃんは、ひたむきだし、いつも一生懸命やる子だった」と述懐している[9]。同作品は深作欣二神代辰巳、恩地日出夫ら名だたる映画監督が演出を担当したが、当初は視聴率が伸び悩んだ。しかし視聴率も上向き、視聴者からも高く評価され、放送終了後も「名作」としてテレビの歴史に残っている。

この作品でコンビを組んだ萩原を「永遠の兄貴」だと語っている。共演した岸田森に「豊には見ている人にその役が素だと思わせるような役者になってほしい。豊はそれが出来るやつだと思っている」と助言をされ、その言葉を今も大切に思っている。松田優作が酔っぱらって萩原とケンカをしてしまった時には、水谷に「また健ちゃんとケンカしちゃったよ」と相談していたという。水谷は毎日新聞のインタビューで本作について「これ(『傷だらけの天使』)がなければ今の僕はないですよ。萩原(健一)さんがいたから僕は(この作品を)出来たんで」と語っており[10]、本作で共演した岸田森が1982年に他界した時には萩原と「二人でいつか何かやろう」と語り合っていて、それが(萩原の死で)ついに果たせなかった心残りがあることも明かしている[10]

1974年には日本テレビの大作ドラマ『水滸伝』に、徽宗皇帝役で出演。出番は少ない、特別出演的なものだが、日本人俳優がメジャー作品で実在の中国皇帝を演じた希少な例となっている。

1975年の映画『東京湾炎上』では、脚本を読んで予定の役柄とは逆の立場のテロリスト役を志願した。日本人が、大義のために同胞の日本人を追いつめる役を演じた。

1976年には長谷川和彦の監督映画『青春の殺人者』でキネマ旬報賞主演男優賞を最年少で受賞する[11]

1977年に放送された実相寺昭雄岸田森が演出した水谷豊のCMでの「アラン・ドロンかな?」というセリフが流行語になった[12]

同年の『赤い激流』でピアニスト役を演じた。35万円でピアノを購入、全くの素人だったが猛練習の末、4日目には「エリーゼのために」を全曲弾けるようになりピアノの先生に驚かれた事を自慢としている[13]。『赤い激流』で「英雄ポロネーズ」を弾いたが、『相棒』シーズン3第15話「殺しのピアノ」(2005年)で再び同じ曲を弾く場面を演じる事となった。

1978年10月、最高視聴率46.7%を記録したドラマ『熱中時代(教師編)』の主演で大ブレイク、視聴率の取れるテレビ界の有名俳優となった。主人公・北野広大のキャラクターが「理想の教師像」として社会現象となったり、特徴的な訛りのある口調が流行となるなど、ファンの幅を広げた。この人気を受けて『熱中時代』のタイトルだけを継承し、設定を一新した『熱中時代(刑事編)』もその後放送された。更に『教師編』は後に続編が1作、単発の2時間スペシャルドラマが3本作られた。武田鉄矢は「金八先生のライバルだった小学校教師」と言っている(なお、後に水谷の娘趣里は、2011年にオーディションを経て『3年B組金八先生ファイナル?「最後の贈る言葉」4時間SP』(TBSテレビ)で女優デビューしており、実年齢より5歳下で、坂本金八に恋する中学生の役を演じているが、この時、武田鉄矢は「金八のライバルだった小学校教師の娘」と表現している)。

1981年には久々の映画『幸福』で、長年望んでいた市川崑の監督作品に主演。二人の子供を持つ、実年齢よりかなり上の刑事役を落ち着いた演技でこなし(翌々年の『逃れの街』では若者の役に戻っている)後年につながる新境地を示す。5年ぶりの主演映画は前作のキネマ旬報ベストテン1位に続いて同6位に入選する高評価を受けた。
1990年代以降

2時間ドラマ(『地方記者・立花陽介』、『探偵 左文字進』など)もシリーズ化され、『刑事貴族』や『相棒』といったレギュラードラマで主演俳優を務め、今なお、幅広い層から支持を受けている。

2008年5月10日、『相棒』においての演技が評価され同じく主演を務める寺脇と共に第16回橋田賞俳優部門を受賞した[14]

2008年12月10日平成20年度の『ゆうもあ大賞』(理事長 大村崑)を受賞[15]、副賞の「舞昆」の京風おせちを受け取ると「正月に蘭さんといただきます」と、照れながら受賞コメントを述べた。

2009年9月12日に放送されたスペシャルドラマ『だましゑ歌麿』で17年ぶりに時代劇に出演したが、水谷は「周囲から『時代劇と戦争物は似合わない』と思われているんじゃないかと思っていた」という[16]。その後、好評を博した本作は、続編が制作され、2012年9月15日に第2作、2013年7月27日に第3作が放送された。

2009年1月27日深夜、自宅で半開きのドアに額をぶつけ出血。自力で自宅近くの病院に直行し患部を7、8針縫う事態となったが、撮影スケジュールに支障をきたすことなく大事に至らなかった[17]
2010年代

2011年4月27日、第139回直木賞候補にもなった荻原浩の家族小説『愛しの座敷わらし』の映画化と、主人公の高橋晃一役を演じることが発表された。監督は『相棒』シリーズの和泉聖治。映画への単独主演は1983年公開の『逃がれの街』以来29年ぶりとなる。原作を気に入った水谷が和泉に映画化企画を打診し、快諾を得たことで実現した。撮影スタッフの大半は『相棒』チームで構成されており、「いつも通り」だったという[18]

2011年、第24回日本メガネベストドレッサー賞芸能界部門を受賞[19]

2012年3月8日、ミリオンセラーを記録した妹尾河童初の自伝的長編小説『少年H』の映画化が発表され、この作品で水谷と妻の伊藤蘭がテレビドラマ『事件記者チャボ!』以来、28年ぶりに共演することと、結婚後初の夫婦共演にして夫婦役を務めることが併せて発表された[20]
映画監督

2017年公開の主演映画『TAP THE LAST SHOW』で監督デビュー[21]

2019年公開の監督2作目『轢き逃げ 最高の最悪な日』では脚本も手がける[22][23]。同作のインタビューで尊敬する監督に『十二人の怒れる男』や『セルピコ』『狼たちの午後』などで知られるシドニー・ルメットビリー・ワイルダー俺たちに明日はないアーサー・ペンクリント・イーストウッドを挙げ、若いころに影響を受けた好きな役者にマーロン・ブランドアル・パチーノロバート・デニーロダスティン・ホフマンジャック・ニコルソンポール・ニューマンロバート・レッドフォードウォーレン・ベイティなどを挙げた[24]


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