水田
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「田」は日本では特に稲田(水稲耕作地)を指すことが多い[14]が、当初は、他の漢字圏と同様、日本でも田は穀物農地を意味する語だった。それが次第に稲田に限定して使用されるようになり、そのため、穀物などの農地一般を表す「畑」という漢字が作られた。陸稲を栽培する農地も「畑」と呼ばれる[15]

土地の登記事項地目において「田」は「農耕地で用水を利用して耕作する土地」、「畑」は「農耕地で用水を利用しないで耕作する土地」と区別されている。

日本の土質は火山灰の影響や降水量が多いことによって酸性が強い。土壌鉱物成分から植物にとって細胞毒性のあるアルミニウムイオンが溶出しやすく、加えて、火山灰起原の粘土鉱物アロフェンが土中のリン酸を不可逆的に吸着して不溶化するので、畑作農耕には不適な面がある。それにひきかえ、水田という形態は山地から流出した栄養塩類や施肥した肥料など水に溶けた養分を蓄えることから、日本の状況に適合している。また、日本の歴史時代を通じて米は特に宗教的儀礼に用いられ、貢納においても重視された(「」「年貢」を参照)。このため広域流通における通貨的な役割を果たすようになっていった。このため、中国大陸に見られるといった雑穀栽培や冬作のなどの米以外の穀物栽培も食糧生産上は重要であり、実際に稲作農業を補完する重要な役割を果たしていたものの、稲作水田は別格で重視されることとなり、それに伴い「田」も稲作水田を意味するようになったと推測されている。

水田の最初の発見例は、1943年昭和18年)の登呂遺跡の調査で確認された[16]。また、1977年(昭和52年)の群馬県高崎市日高遺跡の調査では、水路や(あぜ)、人間の足跡等が発掘された[17]

日本の稲作開始期である弥生時代から古墳時代にかけての水田形態は、長さ2・3メートルの畦に囲まれ、一面の面積が最小5平方メートル程度の「小区画水田」と呼ばれるものが主流で、それらが数百?数千の単位で集合して数万平方メートルの水田地帯を形成するものだった[18]

世界的に水田稲作が行われているのはほとんどが熱帯温帯地域である。日本では寒冷地での稲作を可能にするための多くの技術開発が行われ、北海道本州の高原地帯にも水田が開かれた[19]。北海道では、寒冷地の植物であるシラカバ林の間に水田が広がる風景を見ることができるが、これは世界的には特異な景観であるといえる。日本最北の水田は、道北遠別町にある[20]
農業形態としての田

水を張っている田を水田という。山地で階段状になっている田を棚田(千枚田)という。農耕をやめている田を休耕田という。何らかの理由で一時的に稲以外の作物を育てている田を転作田と呼ぶ。

また特殊な用途のために耕作されている田もあり、例えば、神社の豊穣祭などに供えるための稲を育てている田などもある。神田といい、江戸時代より前は年貢などの諸税が免除されたため、税から逃れる目的で、百姓が神社へ田を寄進し、各地に神田が設定された。東京に古くからある地名の「神田」は、これに由来するとされる。

苗植え前の水を張った田を代田(しろた)、苗植えを終えた田を代満(しろみて)という。

稲以外の穀物を作る畑を水の無い田と言うことで「陸田」と呼ぶこともあるが、基本的には「もとは畑であったが、現在は畦畔をつくり水を湛えるようにしてある土地」(『農地基本台帳記入の手引き』)を指す。

水田は、(あぜ)で囲まれた面であり、隣の田との境に設けるものは畦や畦畔、水路との境に設けるものは溝畔と呼ばれることがある。畦に求められる基本機能は、高低差の確保と水密性である。

水田のは、表面から100mmから200mm程度の部分を耕土や表土、地域によってはツクリと呼び、その下に広がる部分は基盤土と呼ぶ。耕土は作物を育てるための栄養価や、作物が根を張り自立するためのある程度の粘度等が最低限必要である。畦は表土で作られることが多い。基盤土は田の基盤となるもので、水密性があり軟弱でない事が求められるが、地域や地形によってはシルトあるいは軟弱な腐植土や含水率の高い粘土である事があり、その場合の耕作は困難を極めるため、水密性を確保するために表土と基盤土を混ぜ合わせた層を作ったり、軟弱な土に対しては、暗渠を設けて脱水したりベントナイトなどを用いて改良したり、客土して良好な土と入れ換えたりすることがある。

灌漑のため、川やため池から用水路を経由して水を取り入れるための取水口と、水を排出するための排水口(水口)があり、効率を上げるためにそれぞれが離れた位置にあるのが普通である。流量を調整するための板なり弁が設けられ、水位を調整することが出来るようになっている。温度管理の為にかけ流しを行ったり、溜めておいたりする用途に用いられる。山間部の湧水や沢水で耕作する場合、水温が低すぎるのを解消するために、水田内に小さな畦を築立して水路とし、水温を上昇させてから耕作エリアに引き込む工夫がされる場合がある。

農業機械が出入りするための進入路が設けられている場合があり、コンバイントラクターがスムーズに出入りできるようになっている。重機械が入る場合は、深いところまで耕すと機械が沈むので、一定の深さまでしか耕さないことがある。

平地で大きな面積を確保できる場合も、一定の面積で区切ることが管理上有効であり、面積の単位としての「(たん)」が田んぼの一枚であることが多かったが、農業機械の普及やその大型化によって、作業効率を向上させるために、あるいは管理の手間を少なくするために、ほ場整備が行われる場合では、3000平方メートルから10000平方メートルの区画とするのが主流である。条件によっては30000平方メートルを越えるものも存在する。但し水田では水を均一に行き渡らせかつ排水する必要があるため、大きな区画では高度な耕作技術が必要となる。

稲を植えることを田植えという。かつては田に長い糸を張り、糸に沿って手で稲の苗を一本ずつ植えていた。非常に重労働であるため、江戸時代には近隣の者を雇って田植えを行うことが盛んだった。第二次世界大戦後は田植え機が普及し、田植え作業はほぼ機械化された。ただし、田の隅部や小さい田などの機械で田植えできない箇所は、いまだに人力で田植えが行われている。

不動産としての土地の地目としては「田」であることが多く、日本では取引に際して農業委員会の許可が必要な場合があり、買い受けるには一定の資格が必要である。


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