水を張っている田を水田という。山地で階段状になっている田を棚田(千枚田)という。農耕をやめている田を休耕田という。何らかの理由で一時的に稲以外の作物を育てている田を転作田と呼ぶ。
また特殊な用途のために耕作されている田もあり、例えば、神社の豊穣祭
などに供えるための稲を育てている田などもある。神田といい、江戸時代より前は年貢などの諸税が免除されたため、税から逃れる目的で、百姓が神社へ田を寄進し、各地に神田が設定された。東京に古くからある地名の「神田」は、これに由来するとされる。苗植え前の水を張った田を代田(しろた)、苗植えを終えた田を代満(しろみて)という。
稲以外の穀物を作る畑を水の無い田と言うことで「陸田」と呼ぶこともあるが、基本的には「もとは畑であったが、現在は畦畔をつくり水を湛えるようにしてある土地」(『農地基本台帳記入の手引き』)を指す。
水田は、畦(あぜ)で囲まれた面であり、隣の田との境に設けるものは畦や畦畔、水路との境に設けるものは溝畔と呼ばれることがある。畦に求められる基本機能は、高低差の確保と水密性である。
水田の土は、表面から100mmから200mm程度の部分を耕土や表土、地域によってはツクリと呼び、その下に広がる部分は基盤土と呼ぶ。耕土は作物を育てるための栄養価や、作物が根を張り自立するためのある程度の粘度等が最低限必要である。畦は表土で作られることが多い。基盤土は田の基盤となるもので、水密性があり軟弱でない事が求められるが、地域や地形によっては礫や砂、シルトあるいは軟弱な腐植土や含水率の高い粘土である事があり、その場合の耕作は困難を極めるため、水密性を確保するために表土と基盤土を混ぜ合わせた層を作ったり、軟弱な土に対しては、暗渠を設けて脱水したりベントナイトなどを用いて改良したり、客土して良好な土と入れ換えたりすることがある。
灌漑のため、川やため池から用水路を経由して水を取り入れるための取水口と、水を排出するための排水口(水口)があり、効率を上げるためにそれぞれが離れた位置にあるのが普通である。流量を調整するための板なり弁が設けられ、水位を調整することが出来るようになっている。温度管理の為にかけ流しを行ったり、溜めておいたりする用途に用いられる。山間部の湧水や沢水で耕作する場合、水温が低すぎるのを解消するために、水田内に小さな畦を築立して水路とし、水温を上昇させてから耕作エリアに引き込む工夫がされる場合がある。
農業機械が出入りするための進入路が設けられている場合があり、コンバインやトラクターがスムーズに出入りできるようになっている。重機械が入る場合は、深いところまで耕すと機械が沈むので、一定の深さまでしか耕さないことがある。
平地で大きな面積を確保できる場合も、一定の面積で区切ることが管理上有効であり、面積の単位としての「反(たん)」が田んぼの一枚であることが多かったが、農業機械の普及やその大型化によって、作業効率を向上させるために、あるいは管理の手間を少なくするために、ほ場整備が行われる場合では、3000平方メートルから10000平方メートルの区画とするのが主流である。条件によっては30000平方メートルを越えるものも存在する。但し水田では水を均一に行き渡らせかつ排水する必要があるため、大きな区画では高度な耕作技術が必要となる。
稲を植えることを田植えという。かつては田に長い糸を張り、糸に沿って手で稲の苗を一本ずつ植えていた。非常に重労働であるため、江戸時代には近隣の者を雇って田植えを行うことが盛んだった。第二次世界大戦後は田植え機が普及し、田植え作業はほぼ機械化された。ただし、田の隅部や小さい田などの機械で田植えできない箇所は、いまだに人力で田植えが行われている。
不動産としての土地の地目としては「田」であることが多く、日本では取引に際して農業委員会の許可が必要な場合があり、買い受けるには一定の資格が必要である。宅地など他用途への転用については農地法での転用の手続きが必要であり、休耕田を勝手に埋め立てて、他用途転用してはならない。
日本では、減反政策や宅地化により、水田の面積は減少傾向にある。
農地に占める水田の割合を水田率といい、日本全体では約54%である。都道府県別では富山県が約96%と最も高い。 現存する日本最古の文字は、三重県嬉野町(現在は松阪市)の貝蔵遺跡で出土した2世紀末の土器に墨書されていた「田」であるとされている。 日本では、田がある地域、田があった地域には、地名に「田」が付いていることが多く、またその呼び名からはその場所の地形や開墾の歴史などが容易に推察されるものが少なくない。 同様に、日本人の姓に「田」が付いているものが多く、名字に使われる漢字としては最も人口が多い。(田中、吉田、山田、池田、前田、岡田、藤田、福田など) 田が発祥した中国では、田の神の祭事が行われていたが、早い時期に失われ、今に伝わっていない。 日本では、弥生時代に農耕が伝わったとき、農耕収穫あるいは田に対する信仰が生まれたとされている。各地の神社で執り行われる秋の例祭(いわゆる秋祭り)は、田からの収穫を祭る名残であろうと考えられる。平安時代中期には、田植えの前に豊作を祈る「田遊び」から田楽という芸能が興り、その後、猿楽や能楽などの諸芸能へと発展していった。 田からもたらされる豊作を祈願する神社としては、愛知県小牧市の田県神社(たがたじんじゃ)が、その豊年祭という奇祭で知られている。 豊穣豊作を祈願する田の神は、国内では地方ごとに様々な呼び名と祭り方がある。農神 農作業を行なうと病気になる、災害が起きるなどの凶事
文字文化としての田
田の場所にちなんだもの - 東田、西田
開墾の歴史などから - 新田
神社の祭式用などの目的から - 神田、供米田
その田の収穫実績などの評価から - 千代田、富田
実際には、農業用の田ではないものの、池、湖沼をそれにたとえるもの - 八甲田
田にまつわる信仰
環境としての田ネパールの千枚田。治水効果が高い。
また、水田は多様な生物の生息環境であった。浅くて富栄養な生産力の高い水域が広がっていたことで、カエル、ドジョウ、ミジンコなどの生息個体数は莫大なものであった。それがコウノトリ、トキ、タンチョウなどの鳥類やタガメのような大型肉食昆虫の生息を維持する基盤となっていた。それ以外にも、水田は小型動物が多数生息し、その中には水田にのみ見られるような種も多かった。たとえば、ホウネンエビやカブトエビがそれで、これらは冬季には水がなくなるという特殊な水域である水田で、その期間を耐久卵で過ごすことでそれに適応したものである。また、同地域の他の水域、たとえば川や湿地や池では見られない水草が水田には多数生息しており、水田雑草と呼ばれる。
水田にはそれらを合わせた独特の生物群集があった。水田土壌中の微生物も、土壌の有機物の流れに深く関わり、これらが水田という生産システムそのものの一側面ですらある。しかし、第二次世界大戦後の様々な変化の中で、水田の環境は劇的に変わった。コウノトリやトキは絶滅(その後は中国からの同種個体移入で復活が取り組まれている)。メダカやタガメ、ゲンゴロウ、ガムシ、タニシは見ることができない地域が増え、水田雑草の中からも何種もが絶滅危惧種に指定される有様である。またその一方、関東以西で外来種のスクミリンゴガイ(ジャンボタニシ)の発生が深刻で、稲を食い荒らす被害が拡大している。