水島新司
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」とコメントした[11]。他にも多くのプロ野球関係者・漫画関係者が追悼のコメントを述べている。

テレビアニメ化等のメディア展開や、CMなどのパロディといった作品の二次利用も多く見られたが、長男の新太郎がマネージャーを務めるようになった2010年代以降はそれらの利用にも消極的になっていった。また、現時点では作品の電子書籍化も行われていない[12]
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出典検索?: "水島新司" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2017年8月)

本人に関する逸話

進学を希望していた
新潟明訓高等学校への思いから、のちに『ドカベン』で「明訓高校」を舞台にした。また、不知火が所属する「白新高校」の名称も通っていた中学校から取っている。なお、中学も家業の魚屋の手伝いのため欠席も多く、卒業が危ぶまれた事もあったという。

新潟市古町通には、水島の功績を顕彰し、漫画の登場人物の銅像を並べた「水島新司漫画ストリート」がある。しばしば岩鬼の銅像の咥えている葉っぱが盗難に遭い、問題となっている[13]

1970年代は東京都小金井市の音楽喫茶「白鳥」に通い、執筆や構想を練るなどに費やしていた。『野球狂の詩』のヒロイン・水原勇気は、その名を決めるのに思案し、喫茶店マスターの娘「ユウキ」という名が気に入りもらった。

「あぶさん」と「ボッツ」という2つの草野球チームを主宰。漫画作品の執筆のかたわら年間60試合前後に出場し続け、投手として200勝を達成した時には自費で名球会入り記念パーティーを催した。若手時代、身内で野球チームを作ろうとしたが人数が足りず、たまたまアシスタント志望でやってきた本宮ひろ志に対して、作品を見る前に「お前、野球できるか?」と尋ね、「できます」と言われたために即採用したという逸話も残っている。

草野球チームが縁で田中寅彦ら将棋のプロ棋士と知人になり、将棋漫画『父ちゃんの王将』を描いたり、作中に将棋棋士から転向した野球選手や、将棋棋士の名前そのまま、もしくはもじった名前の野球選手を登場させたりしている。

テレビ番組でのインタビューにて「最高の打者は誰か?」という質問に「山田太郎」(理由は甲子園大会通算打率7割5分を誇るから)と答えている。

選手個人としては「エンターテイナーとしてパ・リーグを大いに盛り上げてくれる存在」として、新庄剛志(元・日本ハム)の大ファンであるという[14]

1970年代からメジャーリーグを嫌っており、MLB入りしたイチロー松井秀喜らを非難している[注 3]。雑誌『月刊ホークス』内で2002年まで水島が連載を担当していたコラムでは、当時ダイエーに在籍していた井口資仁がメジャー移籍を球団に希望したニュースが流れた際、「何故日本で、日本のファンの前でプレーしてくれないのか」と疑問を呈し、「メジャーの選手が凄い凄いと言っても、漫画の世界ではそれ以上のものが描ける」と表現している。事実、後期の作品では、登場する架空の選手がプロ野球記録や日本新記録を更新する描写が顕著化している。

1980年代までは個人的に親交のある選手もいたが、1990年代以降は日本プロ野球の外国人選手に対しても「現役バリバリはほとんどいないで、年俸だけは現役並み」と評している。日本人選手の生活圏や若手の働き場を奪っていると批判しており、いつの日か日本人だけのプロ野球が見てみたいと言っている[15]

MLB嫌いではあるものの、福岡ソフトバンクホークスオーナー・孫正義が考案する「世界一クラブ決定戦」の推進派である。理由としては、MLBの優勝決定戦が「ワールドシリーズ」と呼ばれることに不満を持っている為と言われる(「ワールド」の意味を理解しているのか、とのこと)。

国際試合への言及、国際試合の描写は少なく、『ドカベン プロ野球編』で2003年アテネオリンピック予選にドカベン世代が参加したシーン、『あぶさん』で景浦景虎が2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシックの代表候補として合宿に参加した様子など、ごくわずかなものにとどまっている。

今まで見てきた甲子園の試合では、1992年の松井の5打席連続敬遠が最も印象深いと語っている。

晩年のマネージャーを務めていた長男の水島新太郎カルビープロ野球チップスカードの収集家としても有名で、水島はカードを参考にしながら登場人物の打撃フォームや投球フォームを描いたこともあるという。

いわゆる「空白の一日事件」で世間の大きな非難を浴び、おちおち外も歩けなくなった江川卓を一時かくまっていたことがあった。

本宮ひろ志の『実録たかされ』によると、江川3年時の作新学院夏の甲子園2回戦で銚子商に敗れた夜に作新学院の宿舎を訪れ、選手の述懐によると「水島新司さんが来て酒飲んじゃって、どんちゃん騒ぎをしていた」というエピソードが語られている(しかし水島は下戸であり、酒は飲まない[16]。本人の下戸の反面的に、水島作品には酒豪のキャラクターが多数、登場する)。

酒が飲めない一方でヘビースモーカーで知られ、煙草を手にした写真が多数残されている[17][18]

1986年6月1日、故郷・新潟の南海対西武戦で始球式を務めた際、通常は一球投げた時点で終わる所を、一打者に投げ終わるまで投げた事がある。ただしこの際に場内アナウンスで「これは真剣勝負です」と洒落で流したために、アウトカウントを勘違いするというハプニングが直後に起きている。

また、通常空振りで終えるはずの始球式で、過去に二度打ち返されヒットとされたことがある。前述の南海対西武戦と、日本ハム対ダイエー戦(2003年9月4日)である。一度目は西武の石毛宏典に、二度目はダイエーの柴原洋に打ち返されヒットとなった。打たれた水島はグローブを投げつけるリアクションを取った。

2006年5月9日に設立が発表された、独立リーグ「北信越ベースボールチャレンジリーグ(現:ベースボール・チャレンジ・リーグ)」のアドバイザーに就任している。

2008年、プロ野球マスターズリーグの福岡ドンタクズに入団。登録名は「あぶさん」、背番号は90。「代走での出場ならあるかもしれない。できたら遊撃手として出場したい」とコメントした。

2018年より野球殿堂の特別表彰候補者として名前が挙げられていた。2018年は3票、2019年は5票(候補者10人中3位)、2020年は3票(候補者10人中5位)だった。2020年12月1日、2021年の野球殿堂特別表彰候補者が発表されたが、水島新司本人の希望により候補者入りを辞退したことが分かった[19][20]

ホークス関連

1973年、『あぶさん』の連載にあたり、主人公・景浦安武の「入団交渉」のために当時の南海ホークス選手兼任監督であった野村克也を訪ねた時に、好きな球団を聞かれ「セは阪神、パは南海です」と答えたところ、「好きな球団は1つでええ」と言われたためその後はホークス一筋であった。「のんべえは持久力は無いけど、瞬発力があるから代打専門」という契約条件で入団、以来、永きに渡り代打専門で活躍している。また、『野球狂の詩』でプロ初の女性投手である水原勇気にリアリティを持たせるため、多くのプロ球界関係者にアドバイスを求めたところ、唯一前向きなアドバイスを与えてくれたのが野村であった(水原勇気の項目を参照)。


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