水冷エンジン
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黎明期の水冷エンジンには冷媒真水が使われていたが、厳寒地では凍結に伴う膨張作用で冷却システムの配管、最悪の場合にはシリンダーヘッドシリンダーブロックなどエンジン本体すらも破壊しかねない問題を抱えていた。これを避ける為にフリーズプラグと呼ばれる緊急時のみ作動する圧力弁を備えていたが、1910年代よりメチルアルコールを添加する事で冷却水の氷点を下げて冬期でも凍結しにくくする不凍液の概念が生まれた。現代で多用されるエチレングリコールを主成分とする不凍液は1926年に商品化された[14]

1930年代後半に普及した加圧式水冷システムは不凍液の普及にも大きな貢献を果たした。それまでの非加圧式水冷システムでは不凍液入り冷却水の沸騰が一度でも起こると冷却水内に大量の泡が発生してキャビテーションを起こす可能性が高く、消泡剤での対策にも限界があった為、自動車のオーナーは毎年春先から夏期に掛けて不凍液入り冷却水を真水へと入れ替える面倒な作業を強いられていたが、加圧式水冷システムの採用で冷却水の沸点が向上した事によって不凍液を通年使用しても発泡の問題が発生しにくくなった[15]自動車用水冷エンジンのウォーターポンプの一例。自動車用水冷エンジンのウォーターポンプの一例(マツダ・カペラ用)。

航空用エンジンやオートバイ用エンジンで水冷エンジンの普及が遅れた背景の一つとしては、ウォーターポンプの未成熟が挙げられる。機関の動力を用いて遠心式ポンプを動かし、水を機関内に送り込む構造は蒸気機関の段階で既に実用化されていたが、蒸気機関のウォーターポンプはポンプ羽の回転軸から一定以上漏水を起こすことが避けられないものであった。蒸気機関はもともと大量の水を消費するためウォーターポンプからの多少の漏水はさほど問題にはならなかったが、蒸気機関より遥かに小型の自動車やオートバイ、航空機のエンジンではウォーターポンプからの漏水は冷却能力の低下や喪失によるオーバーヒートと直結する問題であり、1910年代の自動車用水冷エンジンの中にはフォード・モデルTの水冷直列4気筒(英語版)などのように、信頼性の獲得の為に敢えてウォーターポンプの採用を見合わせ、ラジエーターを用いるサーモサイフォン方式に強制冷却ファンを組み合わせた水冷システムを用いるものも見られる状況であったが、ウォーターポンプを用いないサーモサイフォン方式にしても、外気温やエンジン負荷、走行風の有無など諸条件によりやはり容易にオーバーヒートに至ってしまう欠点があった。このため、水冷エンジンは内燃機関を用いる車両の登場当初から冷却効率の高さは認められていたものの、その後数十年に渡り空冷エンジンや油冷エンジンに比較して、製造コストの高さ以上に信頼性に課題が残る構造であると見做されていた[16]オチキス・M201(英語版)(ウィリス・MBの戦後ライセンス生産車)のウィリス・ゴーデビル・エンジン(英語版)。

ウォーターポンプの問題が最終的に解決に向かうのは、水冷エンジン搭載車両の漏水に悩まされていたアメリカ軍が自動車メーカーに「漏水が起こらないウォーターポンプ」の開発を命じたことによる。ウォーターポンプに限らず、流体のポンプ動力軸からの漏れ止めにはメカニカルシールが用いられており、20世紀初めごろより遠心式ポンプや冷凍機など様々な産業機械分野で試行錯誤が重ねられていた。アメリカの自動車メーカーでは1920年代より、船舶のスクリュー軸や蒸気機関のウォーターポンプで実績のあったスタッフィングボックス(英語版)の構造を応用した、黒鉛製の紐型パッキンを用いるパッキンナット構造のウォーターポンプを採用していたが[15]、1939年にはゼネラルモーターズにより自己潤滑性の高いカーボン製パッキンを用いるウォーターポンプが開発され[17]、1943年には産業機械分野のメカニカルシールで高い実績のあったクレーン・パッキング(英語版)社にて、ゴム製ベローズ(蛇腹)構造のパッキンを用いたメカニカルシールが発明された[18]。これらがアメリカ軍のジープに採用されたことで、ついに水冷エンジンはウォーターポンプからの漏水の問題を完全に克服することとなる[19]ハインケル He 100

1930年代の航空機用水冷エンジンでは、蒸気を用いる沸騰冷却システムの導入が模索された。少量の水をエンジン内に導入してエンジンの発熱で蒸発させ、ラジエーターで蒸気を水に戻すという構造で、冷却液が液体から気体へ変化する際の気化熱を利用し高い冷却作用が期待できる。沸騰冷却システムはそれまでも航空機で利用されていた表面冷却ラジエーターと組み合わせられ、空気抵抗を低減して飛行速度を向上する方策として研究されたものの、イギリスのロールス・ロイス ゴスホーク(英語版)、ドイツのHe 119He 100などのいずれも複数のウォーターポンプを用いる複雑な構造、機体表面に僅かに被弾しただけでも冷却性が損なわれる表面冷却ラジエーターの構造上の脆弱さが問題となり、何よりも大量生産が困難だった事から結局実用化はされなかった。その後、航空機用レシプロエンジンでは自動車から発展した加圧式水冷システムが主流となる。単独弁式のワックス式サーモスタットの一例。水冷エンジンの排水口側にサーモスタットが設けられる出口制御に用いられる。二重弁式のワックス式サーモスタットの一例。水冷エンジンの取水口側にサーモスタットが設けられる入口制御に用いられる。入口制御は出口制御に比べ水温変動がより小さく[20]、動作温度を最適に保つのに適する[21]

第二次世界大戦後、多くの国の内燃機関では空冷エンジンから水冷エンジンへの移行が進んだ。水冷エンジンではカーヒーターの実装が、空冷エンジンに燃焼式ヒーター(英語版)を装備するのに比べて遙かに合理的で、安全性が高かった事もその普及を後押しした。西ドイツポルシェや日本の本田技研工業などは戦後も空冷エンジン搭載車の開発を続けていたが、こうした取り組みが最終的に非主流となっていく決定打は1970年代石油危機に端を発する自動車排出ガス規制CAFEといった燃費規制への対応であった。三元触媒をはじめとする排出ガス対策機器は、エンジン内を最適な動作温度(英語版)に保つ事が不可欠であるが[22]、水冷エンジンは1936年にワックス式サーモスタット(英語版)が発明された事[23]により、この問題を空冷エンジンより遙かに早い段階で克服しており、この時期を境にオートバイを除く殆どの乗り物用内燃機関で水冷エンジンへの移行が進んでいった。オートバイの種類の中では、クルーザー型にみられるような「米国における伝統的観念」という心理的障壁による商品化の困難さ[3]を除いては、その走行条件の激しさや要求性能の厳しさから最も水冷化が困難とされていたモトクロッサーで水冷エンジンが普及したのは、ヤマハ発動機が1981年に発表したヤマハ・YZ125以降であった[24]

ラジエーターに冷却風を供給する冷却ファンは、縦置きエンジンの場合には伝統的にクランクシャフトの駆動力を用いてファンを回転させる構造が採られる事が多く、ウォーターポンプを用いた強制循環方式が普及する1930年代以降は、ウォーターポンプの駆動軸にファンが取り付けられる方式が主流となった。冷却ファンは1960年代まではラジエーターの水温に関わらず常時回転し続ける強制冷却ファンの体裁を取る事が多かったが、風切り羽根の空気抵抗による駆動力の損失が避けられなかった事から、1970年代以降は冷却ファンの駆動損失を低減させる様々な方式が考案された。

1969年、トーマス・J・ウィアーにより粘性流体を用いた流体継手の概念を応用したファンクラッチが発明され[25]、この流体継手方式を下敷きに1970年代に周辺温度、回転速度、トルクなど様々な条件で断続を可変させる方式が考案されたが、最終的には1976年にカミンズが開発したシリコンオイルを流体に用いたビスカスカップリング方式が主流となった[26]前輪駆動に採用例の多い横置きエンジンでは、クランクシャフトが車体正面に対して平行となる為、この組み合わせ(エンジンと変速機を並列配置するイシゴニス方式)を最初に普及させた1959年のミニ (BMC)の場合、ラジエーターをエンジンの右側面に縦置きするという導風効率の悪いレイアウトを採らざるを得ず、1965年登場のプジョー・204ではベルトドライブを90度曲げてでも車体正面にラジエーターと冷却ファンを配置するという強引な手法が用いられた程であったが、エンジンと変速機を直列配置するジアコーサ方式を採用した1969年のフィアット・128では電動機を用いた冷却ファンが採用され、駆動損失の解消と冷却効率の向上を両立、その後の前輪駆動車では電動冷却ファンの採用が一般的となった。

なお、ウォーターポンプは一般的にVベルトを用いたベルトドライブでクランクシャフトから動力伝達が行われる為、エンジンの駆動力を直接的には利用しない電動式の冷却ファンが主流となった2020年代現在でも、エンジンの補機ベルトは俗にファンベルトと呼ばれる事が多い。


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