水俣病
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注釈^ 工業災害では世界で死者数が2番目の被害規模 Industrial disasters 参照。
^ 後年の研究で、排出されるメチル水銀の75%除去と判明。極めて大きな効果があった[38]
^ 同じ年の「泥・廃水プール」実施とあわせて、排出されるメチル水銀の9割削減という効果がのちに立証されている[42][43]
^ 劇症型患者の場合、直接の死因としては、大人では食物の誤嚥によって引き起こされる肺炎(嚥下性肺炎)が多く、幼児及び胎児性患者では痙攣によるショック死、食物をのどに詰まらせたことによる窒息死が多く見られた。
^ 1957年から1960年まで水俣工場長だった西田栄一は当初、アセトアルデヒドを疑ったが、戦後の生産量が戦前のピーク期(1940年頃)に達していなかったことから、工場排水が原因ではありえないと結論付けた。
^ 工場ではこの残渣プールに排水を送り、沈殿物を除去してから水俣川河口に放出するようにしていた[要出典]。しかしプールは露天だったため、降雨によりプールから排水が溢れ出て、直接不知火海に流出していった。工場側の見解では、排水が疑われる原因は色(赤茶色。主に鉄分によるもの)にあり、見た目を良くすれば漁民たちの非難をかわせるものと考えていた。
^ この実施によってメチル水銀を9割削減と激減させていたことが、近年、科学的に立証されている[75]。水俣病の発生については、メチル水銀の排出が原因なのではなく(世界の同業他社も排出していた)、爆発的に大量に放出したこと(量的問題)が原因と『水俣病の科学』(日本評論社)は唱える。メチル水銀が9割削減されていた1960年より後の廃水で水俣病が発生したとは考えにくいとし、発生には、排水から数年の遅行があり、その遅行も条件の違いで様々であることを考慮して被害データを読み取らなければならないと述べている[76]
^ チッソ株式会社は同社ウェブサイトの「水俣病問題への取り組みについて」と題するページにおいて、新救済策受入拒否の理由を説明していた。「1. これまでの経緯について 1)補償協定の成立」の項では、1973年7月に患者各派との間に締結された協定について「その成立過程においては、一部の派との間に極めて苛烈な交渉が行われました。それは、多数の暴力的支援者の座り込みによる会場封鎖の下で、威圧的言動や行動により応諾を迫られ、果ては社長以下の会社代表が88時間にわたり監禁状態に置かれるなど、交渉と言うにはほど遠いものでありました。そればかりか、多くの社員が警備中や出勤途上でしばしば暴行を受け、けが人が絶えない有様でした。」と述べるなど[90]、これまでの補償すら同社にとっては不当あるいは過大なものであったかのような説明となっていた。なお上記の記述は、2010年3月時点「この補償協定の成立過程におきましては、大半の会派とは話し合いでの決着を図りましたが、一部の派との交渉は、多数の過激な支援者の座り込みのもとで、威圧的言動や行動により応諾を迫られ、一時は社長以下の会社代表が88時間にわたり監禁状態に置かれるなど、極めて苛烈なものとなり、さらには従業員が暴行を受けることもありました。」と変更されている[91]

出典^ a b環境省 水俣病センター「水俣病のあらまし(水俣病の発生およびその概要)」
^ .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}"水俣病". 日本大百科全書(ニッポニカ) ほか. コトバンクより2023年8月12日閲覧。
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^ “水俣病確認65年 「公害の原点」世界も注視”. 西日本新聞. (2021年5月1日). https://www.nishinippon.co.jp/item/n/732199/ 2021年9月16日閲覧。 
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^ “水俣病の発生・症候”. 熊本県ホームページ (2021年1月15日). 2021年9月16日閲覧。
^ “水俣病「改称」なぜ今 チッソ子会社近く、有志が看板設置”. 西日本新聞. (2019年6月4日). https://www.nishinippon.co.jp/item/n/515545/ 2021年9月16日閲覧。 
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^ a b c d “熊本日日新聞1968年9月26日「水俣病の原因は廃液、厚生省の見解原文 企業の責任を明示/救済制度を早急に確立」”. 新聞記事見出しによる水俣病関係年表1956-1971. 熊本大学附属図書館. 2021年9月16日閲覧。
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^ “ ⇒水俣病のあらまし(アセトアルデヒド製造工程)”. 環境省水俣病情報センター. 2019年9月1日閲覧。
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^ 土井陸雄, 大野秀樹「水銀汚染」『臨床化学』第31巻第3号、日本臨床化学会、2002年、139-146頁、doi:10.14921/jscc1971b.31.3_139、ISSN 0370-5633、NAID 130003357020、2021年10月30日閲覧。 
^ a b c d水俣病の悲劇を繰り返さないために ?水俣病の経験から学ぶもの?(環境省国立水俣病総合研究センター)

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