民進党
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一方、旧維新の党の代表だった松野は、かつて民主党を離党したことなどを理由に自らは民進党の役職に就くことを辞退している[61]。なお、旧維新の議員は派閥を立ち上げ、党内最大派閥となった[62]

3月28日、衆議院会派「民主・維新・無所属クラブ」が「民進党・無所属クラブ」に変更(会派に参加していた野間健は離脱して無所属となり、勢力は95名)[63]、30日には参議院会派「民主党・新緑風会」が「民進党・新緑風会」に変更した(旧みんなの党の比例代表選出議員ゆえに国会法109条の2第2項の規定により改選まで民進党に参加できない旧維新の党の参議院議員5名が同日付で同会派に加わり、勢力は64名)[64]。なお、共同会派所属国会議員の地位に関する経過規定(党規約附則2条2項[65])により、2019年9月まで旧みんなの党の比例代表選挙参議院議員5名は改選まで無所属でありながら党役員への就任や両院議員総会での議決権行使を許されて民進党所属国会議員に準ずる地位を有するものとされ(政党助成法上の政党交付金配分に絡む議席分にはカウントされない)、この規定に基づいて小野は民進党副代表かつ党規約で「党運営に関する重要事項を議決する機関」と定めた常任幹事会のメンバーに、川田は「次の内閣」厚生労働相という党要職に就任したが、産経新聞から『「無所属議員を党所属議員として扱う」という政党政治の根本が問われるような異常な事態』と批判された[66]。なお、この規定は2018年2月4日の改訂に伴い削除された。

地方組織においても旧民主・旧維新の一本化が進められたが、神戸市会などのように並立状態が継続している議会もある[67]

5月19日、4月に募集した党のロゴマークについて、3676通の応募から選ばれた最終候補の4作品の中から、地方組織や所属国会議員の投票で選ばれた新ロゴマークを発表した。この新ロゴマークは、最終候補4作品のうち「A案」と呼ばれたもので[68]、青と赤の2本のラインで民進党の頭文字にあたるアルファベットの「M」をかたどり、党の理念として掲げた「自由、共生、未来への責任」を表現するとともに未来に向かって共に進む姿もイメージしたという[69]
岡田克也代表時代
非自民勢力による選挙協力2016年、内閣総理大臣安倍晋三への申し入れを行う岡田、松野、枝野、山尾

結党後の半年間で大規模な選挙(2016年4月補選・参院選・東京都知事選)が連続して行われ、いずれも共産、社民、生活の各党との連携下で行われた。

4月24日、結党後初の国政選挙となる衆院補選が実施された。京都3区は、共産党が候補者擁立を取り下げたことや、自民・公明の与党が候補者を立てずに不戦敗をとったこともあり、前回比例復活していた民進公認の前職泉健太(社民党推薦)が圧勝した[70]。一方、北海道5区では民主党元職員の池田真紀を擁立。共産党が「民主公認ではなく無所属候補として出馬する事」などを条件に先に出馬を表明していた候補者の立候補を取り下げ、共産・民進・社民・生活推薦の野党統一候補として無所属で出馬し、自民党公認で公明党らが支援の和田義明に挑んだが惜敗した[71]

7月10日実施の第24回参院選では、野党4党が1人区で候補者調整を行い、一部の選挙区で共産が公認候補の擁立を取り下げたり、逆に民進が共産・社民・生活の他党系の候補に枠を譲るなどした。最終的に、民進党は選挙区に33名、比例区に22名の候補者をそれぞれ擁立した[72]。その結果、選挙区で21、比例で11、合わせて32議席を獲得した。前回の参院選で民主党(当時)が獲得した17議席を上回ったが、改選数の45議席には届かなかった。参議院会派「民進党・新緑風会」には野党統一候補として無所属で当選した舟山康江が加わり、勢力は51名となった[73]

参院選の直前になって東京都知事選(7月31日投開票)の実施が決まり、これもまた野党4党で統一候補を出すことが決まった[74]。参院選と並行しての候補者選定が民進党東京都連の主導で進められ、鳥越俊太郎古賀茂明などに出馬を打診したが中々決定しなかった。12日(公示2日前)になって党本部と鳥越が連絡を取って鳥越が出馬を決断、4党が鳥越を統一候補として推薦し擁立[75][76]。しかし候補決定が直前まで難航し、政策等の準備不足や4党の連携の足並みが揃わなかったこともあり、自民党を割って出馬した小池百合子にダブルスコア以上の差で敗れ、自公などが推薦した増田寛也にも及ばない3位に終わった[77]
代表選と岡田の不出馬詳細は「2016年民進党代表選挙」を参照

結党後初の代表選が9月に行われたが[78]、参院選で野党4党が候補者を調整して挑んだ1人区では11勝21敗で与党候補に負け越したことや、「改憲勢力」(自民公明維新こころの4党など)の3分の2議席獲得を阻止できないなど、岡田が推し進めてきた野党共闘は自公勢力に打撃を与えるに至らなかった。岡田は自らの地盤である三重県選挙区で候補が敗れた際は代表を退任することを宣言していた。選挙の結果、三重県選挙区では勝利を収めたものの、党自体の選挙結果は不振に終わる。この結果を受けた岡田は代表選挙への出馬については「白紙である」と述べるに留めたものの、党内からは岡田に対する責任論が噴出。7月30日、代表選挙不出馬を表明する事態となった[79]

代表選には蓮舫前原誠司玉木雄一郎の3者が立候補した[80][81][82]。選挙戦では民共共闘の是非や与党が推し進める憲法改正論議などが焦点となった[83][84][85]。また選挙戦後半には、蓮舫の二重国籍問題がクローズアップされることとなる[86]

9月15日、投開票が行われ、蓮舫が前原・玉木を大差で下し、新代表に選出。女性の党代表は旧・民主党時代も含めて初となった。また、野党第1党の党首に女性が就任するのは土井たか子日本社会党委員長)以来30年ぶり[87]
蓮舫代表時代

蓮舫執行部において、蓮舫の所属する野田グループ(花斉会)の会長である野田佳彦内閣総理大臣幹事長に、代表代行には細野豪志環境大臣安住淳国対委員長江田憲司(留任)の3人を、政調会長には大串博志前政調会長代理を、国対委員長には山井和則前国対委員長代理、選対委員長には馬淵澄夫国土交通大臣を起用した[88][89]。また、前原に対して党顧問への就任を打診したが、前原は辞退した[90][91]。9月21日開催の両院議員総会において、新執行部の人事案の採決が行われこれを了承。これにより、蓮舫体制の新執行部が正式にスタート[92]。また、同じ日には台湾民進党院長(国会議長)の蘇嘉全らと会談・交流し、蓮舫選出に関して祝意を受けた[93]

蓮舫体制下では初陣となる10月23日実施の衆院補選の公認候補として、東京10区に元NHK記者の鈴木庸介を、福岡6区に元在インドチェンナイ日本総領事館職員の新井富美子を、それぞれ擁立することが常任幹事会で決定された[94]。なお共産党は、福岡6区に候補者擁立を表明したが、それと同時に民進党側と野党共闘に向けた協議を始める方針を表明し、協議の結果次第では、4月の北海道5区補選と同様に擁立を取り下げる可能性も示唆した[95]。また東京10区でも公認候補を擁立しているが[96]、野党共闘に前向きな姿勢を見せており、民進党側に対し候補統一に向けた協議を呼びかける意向を示している[97]


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