民進党
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英語名について、維新の党側からは、民主党(Democratic Party of Japan)と維新の党(Japan Innovation Party)を組み合わせた「Democratic Innovation Party」が提案されていたが、民主党側から略称の「DIP」(アメリカ英語の俗語で「間抜け」を意味する)を問題視する声が出たため、「民主党」の直訳に当たる「The Democratic Party」が採用された[30][31]
党史
前史2010年代の第三極の離合集散

民進党の前身政党の一つである民主党は、自由民主党二大政党を形成していたが、2012年の下野後は勢力を永らく回復できず、安倍晋三が自由民主党、公明党絶対安定多数のもとで長期政権を築いていた。2014年第47回衆議院議員総選挙で野党各党は小選挙区での立候補者調整を行ったが、自公両党は議席数をほぼ維持した。民主党は議席を回復したものの、自民党の3分の1にも達せず、更に代表海江田万里が落選するなど、勝利とは程遠い状況であった。海江田に代わって代表に就任した岡田克也執行体制の下、民主党は野党第2党の維新の党との連携を図る。

維新の党は自公、民主間での立ち位置を巡って松野頼久代表など民主党や旧結いの党出身の勢力と、橋下徹初代代表などの旧日本維新の会系(いわゆる「大阪系」)勢力が対立していたが、2015年8月に橋下をはじめ大阪系の議員が党を割り、おおさか維新の会(後に日本維新の会に改称)を結成した。また松野、橋下どちらにもつかない勢力が改革結集の会を結党した。

維新の党の分裂後、民主、維新両党は急接近する。前後して8月から9月ごろ、平和安全法制審議で両党以下一部野党(民主党、維新の党、日本共産党社会民主党、生活の党と山本太郎となかまたち(自由党))は強硬な反対運動を繰り広げており、このような雰囲気も合同を後押しした。8月31日、岡田と松野の両代表が会談し、野党再編を視野に、両党が政策や選挙で協力する協議機関を第189回国会閉会後に設置することで合意した[32]。野党再編の方法については、維新の党側が両党を解党した上で新党を結成することを主張し、民主党内でも解党論が浮上[33]、9月10日には民主党の支持母体の日本労働組合総連合会(連合)の古賀伸明会長が「(民主解党も)選択肢の一つ」と言及した[34]

11月11日には民主党の細野豪志政調会長と前原誠司外務大臣、維新の党の江田憲司前代表が会談して年内に両党解党・新党結成すべきとの認識で一致し[35]、細野・前原が岡田に解党を申し入れたが、岡田は解党論を否定した上で年内の統一会派結成に取り組む意向を示した[36][37]。12月18日、衆議院統一会派「民主・維新・無所属クラブ」が結成された[38]。参議院側の統一会派については、維新の党側が2016年の参院選で議員が埋没しかねないとの懸念から延期されたが[39]、両党間には政府提出の給与法改正案への賛否などに隔たりがあり、統一会派結成を前に課題も存在した[40]

2016年1月6日、維新の党は日本を元気にする会と参議院統一会派「維新・元気の会」を結成したが[41]、民主党側の不信を招いたうえ[42][43][44][45]、維新の党が民主党に歩調を合わせて給与法改正案賛成に転じ、統一会派内で対応が割れる事態となった[46][47](民主・維新合併合意後の3月4日、「維新・元気の会」は解消された[48])。

2月22日、岡田・松野両代表が会談し、民主党が維新の党を吸収合併することで合意した[49]、さらに4日後の2月26日に岡田・松野の代表会談が再び行われ、民主・維新の両党が3月中をめどに合流することで正式に合意した[50][51]。この吸収合併は1998年に民政党新党友愛民主改革連合1996年結成の民主党に合流した際の方法を踏襲するものである[52]。両党解党・新党結成による場合と異なり、この方法では、旧みんなの党の比例代表で選出されて結いの党から維新の党に合流した参議院議員5人(小野次郎川田龍平柴田巧寺田典城真山勇一)は国会法第109条の2の規定により改選を迎えるまで国会議員職を維持したまま新党には合流できない[53]

3月14日には新しい党名を「民進党」とすることが決定[26]、22日には改革結集の会議員5人の内4人も合流することが決まる[54]。25日に岡田・松野が合併協議書に調印した[55]

3月27日、民進党結党大会に先駆けて午前中に行われた維新の党の臨時党大会において、民進党結成のための解党の決議が全会一致で採択された[56]。維新の党の議員のうち、2010年に民主党内閣不信任決議に賛成したり、2012年に民主党を離党して新党(日本維新の会のほか、国民の生活が第一みどりの風)結成に参加した反党行為で石関貴史今井雅人太田和美初鹿明博牧義夫松木謙公松野頼久水戸将史は民主党から除籍されていたが、今回の合流によって事実上復党することになった。
結党

3月27日午後、東京都内のホテルで「民進党」結党大会が開催され正式に発足した[18]。来賓として神津里季生(連合会長)、茂木健一郎脳科学者)、大沢真理東京大学教授)、奥田愛基SEALDs)らが挨拶した[57][58][59]。結党大会では、結党宣言・綱領や、初代代表に旧民主党代表の岡田を起用することをはじめとする初代執行部の人事についての承認が議決され、全会一致で採択された[58]

初代執行部は、旧維新の党出身の江田憲司今井雅人がそれぞれ代表代行と幹事長代理に就任した以外は、初代党首の岡田や幹事長の枝野をはじめ旧民主党出身の議員が顔をそろえた[60]。一方、旧維新の党の代表だった松野は、かつて民主党を離党したことなどを理由に自らは民進党の役職に就くことを辞退している[61]。なお、旧維新の議員は派閥を立ち上げ、党内最大派閥となった[62]

3月28日、衆議院会派「民主・維新・無所属クラブ」が「民進党・無所属クラブ」に変更(会派に参加していた野間健は離脱して無所属となり、勢力は95名)[63]、30日には参議院会派「民主党・新緑風会」が「民進党・新緑風会」に変更した(旧みんなの党の比例代表選出議員ゆえに国会法109条の2第2項の規定により改選まで民進党に参加できない旧維新の党の参議院議員5名が同日付で同会派に加わり、勢力は64名)[64]


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