民法_(日本)
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ただし、この旧民法においても、人事編及び財産取得編の相続・贈与・遺贈・夫婦財産契約に関する部分(いわゆる身分法又は家族法)は、特に日本固有の民情慣習を考慮する必要があるとの考えから、司法省民法編纂会議の磯部四郎及び熊野敏三ら日本人委員のみが起草した[27]。したがって、旧民法草案[28]が旧民法公布までの10年間の間にボアソナード自身、あるいは日本人委員の手によって手を加えられていることもあり、そのまま旧民法というわけではない[29]

この旧民法を起草に当たって主要な母体となった外国法が、当時ヨーロッパで評価の高かったフランス民法典である。

このフランス民法典は、フランス革命の産物ではあるが、全てが近代自然法説に貫かれたものではなく、パリを中心とする北部フランス共通慣習法を中核に、ローマ法と18世紀の自然法思想を加味して成立したものである[30]。近代的所有権の確立や契約自由の原則を打ち出すなど近代財産法秩序の基本的枠組みを確立し、また、平等主義に基づいて家督相続制を採らず、男女平等を原則とするなど画期的な部分を多数有しつつも、ナポレオン法典制定時の世相を反映して、婚外子に対する差別的取り扱いや、婚姻時には男女不平等を徹底する等、後続のドイツ・スイス民法などと比べても、その家族法部分においては封建時代の残滓を有していた[31]

そこで、ボアソナードをはじめとする旧民法起草者たちは、フランス民法典を模範としつつも、その直輸入をよしとせず、独自の立場から当時のイタリア民法やオランダ民法、ベルギー民法草案等を参照してフランス民法典の欠点を修正し、可能な限り日本古来の慣習にも調和するよう試みた[32][33](模倣民法[21][34]。しかし、その努力も不十分であるとして、民法典論争が起きるのである。

なお、施行されないまま廃止された当時の法律には他に『法例』(明治23年法律第97号)[35]がある。
現行民法

日本民法が仏法または独法の模倣だという説は施行直後からあったが、条文を見ない者の言うことだと批判されている(梅)[36]
家族法

民法典論争時における「民法出デテ忠孝亡ブ」という旧民法反対派の穂積八束の宣伝文句があまりに有名であるために、あたかも旧民法が全面的に個人主義・自由主義を徹底したものであり、対して明治民法が家族主義を徹底した保守的・反動的性格のものであるかのごとく説明されることがあるが、そうではなく[33]、旧民法における家族法(身分法)部分は、民法典論争で中心的に争われた割には、元々公布正文が日本の旧慣習にある程度配慮したものであったため、根本的修正を受けることなく明治民法に継承されたとするのが通説的理解である[37]

これに対し、明治民法は戸主権を強化し、個人主義的な旧民法の家族法部分を半封建的に修正したものであるとの理解が一時支配的であったが、旧民法と明治民法が大差ないことを説明できず、実証的な根拠が無いと批判されている[38]

外国法の法理は、明治民法においては旧民法以来日本独自の固有法が多いために、家族法の解釈において主要な参考資料にならないと説明されていた[39]

これに対し、日本独自の家制度が除去された戦後の改正民法は大陸法の発展である[40]。特に相続法につき、専門用語や技術的な規定を通して、旧民法以来のフランス法の影響が強調[41]されることがある。

刑事訴訟法憲法と異なり、立法におけるGHQからの積極的干渉及びアメリカ法の影響は否定されている[42]
財産法

現行の日本民法典の財産法部分については、日本法独自の部分を有しながらも基本的にはフランス民法典の延長線上にあった旧民法と異なり、膨大な外国法典、草案、法令等を参照し、比較法の手法によって取捨選択することで立案されたと評価されており[43](参酌民法[44])、その中でも特にヴィントシャイトを中心にローマ法を再構成して起草されたドイツ民法第一議会草案[45][46]に多くを依拠しているとするのが伝統的通説である[47]

ただし、物権法の分野に限っては、日本独自の法慣習や社会的実態を考慮すべきことから、影響が他分野に比べ相対的に低くなっている(特に不動産物権変動[48]。もっとも、土地法分野は、旧民法からの離脱が最も顕著な分野の一つでもある[49]

このドイツ民法第一草案は、19世紀ヨーロッパの法律思想である個人主義自由主義の集大成であり[50]自然法論にも歴史法学にも偏することなく、民族を問わず適用されるローマ法の万民法を抽象化したもので、世界各国の立法・判例・学説に多大な影響を与えた完成度の高いものであった。

しかし、その自由主義と政治的中立性の故に、社会的弱者への積極的救済が社会政策に丸投げといううらみがあり、またそのローマ法的・個人主義的性格は、農村由来の団体主義を基本とするゲルマン法との抵触が問題となり、更に、学問的抽象性の高さは実務的な運用性に長ける分、法律の素人には難解であった。ギールケらによる批判を受けて第二・第三草案で修正されたものの、根本的修正は至らずドイツ民法典として成立している[51]

民法典論争を経て成立した明治民法(特に財産法)もそれらの性質を継承しているため、批判の対象になっている[52]

なおドイツ固有のゲルマン法の影響が拡大した第二草案は起草の途中から参照している[53]


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