民放
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FM放送

学校法人東海大学1960年(昭和35年)に開局した超短波放送(FM放送)実用化試験局FM東海」が嚆矢である。

一般放送事業者による第一号は、NHKが本放送を始めた1969年(昭和44年)に開局した愛知音楽エフエム放送(後にエフエム愛知と改称)であり、翌1970年(昭和45年)4月1日開局の大阪音楽エフエム放送(後にエフエム大阪と改称)が続いた。エフエム東京の放送が始まったのは4月26日であるが、これはFM東海が実用化試験局の免許期間満了による不法無線局状態となった時期があり、これを発端とする一連の騒動を収拾するのに時間がかかったためであった。エフエム東京発足に当たってはその経緯から学校法人東海大学が筆頭株主となって今日に至る。同年7月15日には、福岡エフエム音楽放送(後にエフエム福岡と改称)が民放FM初の中継局でもある北九州局ともども開局し、純粋な私企業による東名阪福の4社5局体制が確立した。

4社の発足に際して郵政省は、特定勢力の影響力が強まることを防ぐため、既存メディアの民放FMへの出資を禁じた。これは「マスメディア集中排除原則」の基になるものであったが、当時はまだ成文化されていなかった [注釈 10]

郵政省はエフエム福岡の開局後、小出力のAM局をFM局に移行する計画を持っていたため、民放局の新規開設を一時凍結。しかし1980年代に入り、全国に民放局を展開する方針が示され、次々と周波数が割り当てられていった。そして1982年(昭和57年)2月1日、その先陣を切って5局目となるエフエム愛媛が開局。こうしたFM多局化時代に備えるため、先発4社は前年、全国FM放送協議会(JFN)を立ち上げた。以後開局した局も次々とJFNに加盟した。1985年(昭和60年)に入ると、三大都市圏の内部で県域局が誕生し、既存局と放送エリアが半分以上重なる局の存在が注目されるようになる。ネットワーク系列となるか、それとも独立路線を歩むかは、各局が抱える地域事情に左右され、エフエム富士のように、方針が二転三転するケースもあった。1988年(昭和63年)には東京第二民放FMのエフエムジャパン(後に社名も当初略称のJ-WAVEに改称)が開局したことで、JFN以外のネットワークJAPAN FM LEAGUEが1993年(平成5年)に誕生した。

2001年(平成13年)4月1日開局の岐阜エフエム放送(現・エフエム岐阜)を最後に県域局は開局していない。この時点で茨城県奈良県和歌山県以外の44都道府県にラジオ単営の県域放送局が開局したことになる(茨城・和歌山の2県は逆に中波民放局しかない)。

民放局が全国に広がるにつれ、地方局における経営危機が大きな問題となってきた。大都市圏を除いては、マスメディア以外の有力資本に乏しいというところが多く、なかなか開局できなかったり、開局しても赤字が続き、しまいには倒産という事例が次第に現実のものとなった。そこで郵政省は方針を転換し、FM局に限らず民放全体におけるマスメディア集中排除原則を成文化する代わりに、その枠内においてFM局にも他のマスメディアが出資できるようにした。成文化[17] 以降に開局した新設局はもちろんのこと、大阪・福岡といった古参局にも新聞資本が入った。

1992年(平成4年)には、一つの市区町村を対象としたコミュニティ放送が制度化され、同年12月24日に第一号のFMいるかが北海道函館市に開局した。1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災以後、非常時の情報伝達手段という側面がクローズアップされ、以後全国に開局の動きが加速度的に広がったが、景気の後退で廃業する放送事業者も少なくない。一方、2003年3月31日開局の京都三条ラジオカフェ以来、特定非営利活動法人(NPO)による開局も相次いでいる。

阪神・淡路大震災を契機にしたものでは在日外国人を対象とした外国語放送がある。第一号は1995年開局の関西インターメディア(FM CO・CO・LO)で、東京圏、九州北部、中京圏の順に複数都府県を放送対象地域とする放送局が相次いで開局。これらの4局も1999年(平成11年)に第3の民放FMネットワークとしてMegaNetを結成した。しかし各社とも厳しい経営が続き、中京圏の愛知国際放送2010年(平成22年)9月30日を以って閉局。これは民放連加盟社全体でもどこにも引き継がれず閉局となった最初の事例であった。その後、中京圏では愛知国際放送の周波数を事実上引き継いだInterFM NAGOYAが、のち「Radio NEO」と改称するが2020年(令和2年)6月30日に再び閉局した。

放送法の全面改正後は地上基幹放送の一種とされる。
BSラジオ

BSアナログ放送では、1991年(平成3年)4月1日にWOWOWと同時に、同チャンネルの独立音声チャンネルを利用した放送を開始した衛星デジタル音楽放送(St.GIGA)が最初の例となった。

2000年(平成12年)12月1日のBSデジタル放送開始時には、ラジオチャンネル23チャンネルが割り当てられ、BSデジタルテレビ系ラジオチャンネルとJFN衛星放送、デジタル放送チャンネルとしての「St.GIGA」が放送を開始した。

しかしSt.GIGAは経営破綻し、事業を受け継いだワイヤービー(Club COSMO)もまた破綻、最後に引き継いだWorld Independent Networks Japan(WINJ)に至っては無音放送が頻発する状況だった[18]

BSデジタル放送は放送普及基本計画(現・基幹放送普及計画)の見直しでデジタルハイビジョン放送を重点に置くため、ラジオチャンネルは大幅に削減され、音信不通のまま放送が続けられていたWINJも2006年(平成18年)10月31日に放送を停止。1年以上の放送休止を経て委託放送事業者の認定が取り消され、民間放送は全て姿を消した。[注釈 11]詳細は「BSデジタル音声放送」を参照
CSラジオ

CSラジオ(CS-PCM放送)放送は、JC-SAT2を使い、1991年2月19日にPCMジパング、ラジオ・スカイ、サテライトミュージック、ミュージックバード4社(後にミュージックバードに一本化)が逐次放送を開始したのが初めてである。放送法改正[19] による規制緩和により、通信衛星(CS)を使った一般個人への放送が可能となったためである。

その後、CSデジタル放送のチャンネルへ移行するが、これについては後述の「CSテレビ」を参照。
テレビジョン放送
地上波テレビ

1953年の日本テレビに次いで1955年(昭和30年)4月1日のラジオ東京(現・TBSテレビ)、1956年(昭和31年)12月1日の大阪テレビ放送(現・朝日放送テレビ)並びに中部日本放送(現・CBCテレビ)がNTSC方式によるテレビ放送局を開局した。


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