一方、イギリスにおいては、憲政上の歯止めによって民兵は常備軍の代替として外征に投入されることはなく、戦時に祖国の防衛のために限って動員される存在としてあり続けていた[8]。イギリスによるアメリカ大陸の植民地化が進むと、植民地時代のアメリカ合衆国でも民兵隊が組織されたが、イギリス本国の政治文化を踏まえつつ、アメリカ独自の発展を遂げていった[10]。ボストン茶会事件を契機として本国政府と植民地との緊張が高まるにつれて、これらの民兵隊は政治団体としての性格を帯び[11]、独立戦争では多くが大陸軍として連合した[12]。
独立後のアメリカ合衆国でも、連邦の正規軍とともに民兵隊も国防のために必要とされてこともあって、合衆国憲法修正第二条において武装権が法制化された[4][13]。植民地政府を引き継いだ州政府が民兵隊(州兵)を管轄したものの[13]、州民からの民兵訓練などへの不評のために地域共同体に依拠する民兵組織としては形骸化していったが[14]、その後の南北戦争での経験を踏まえ、連邦政府による統制が強化される形で再興された[15]。また名称も、フランス革命の際に結成された「国民衛兵」(Garde Nationale)にちなんでナショナル・ガード(National Guard)と改称されていき[注 2]、1916年に制定された国防法(NDA)(英語版)によって法制化された[16][17][18]。
現代アフガニスタンにて、M249軽機関銃を携えたインディアナ陸軍州兵
現代のアメリカ合衆国において、民兵は連邦政府による召集(federalization)を予定する州兵とそうではない部分に分けられ、前者は"organized militia"、後者は"unorganized militiaと呼ばれる[19]。連邦法では州兵のみを前者として扱うが、各州の州法では州防衛軍も前者に含めている場合が多い[20]。
アメリカ以外にも、常備軍を補完する公的な民兵制度を備えている国は少なくない[4]。特に無政府状態においてはしばしば自警団としての民兵が組織されるが、国家としても、政府軍で不足する作戦遂行能力を補完するためにこれを支援する場合もある[4][21]。このような民兵は自衛の範囲を超えて攻撃的に運用されることもあるが、国家からの援助を受けることで地域共同体との結びつきが弱まっている場合、規律が緩んで戦争犯罪を犯すリスクや、場合によっては独立した行為体として、国家存立を脅かすリスクも生じる[21]。