民共共闘(みんきょうきょうとう)とは、2010年代後半から2020年代にかけて、日本における左派系野党による協力関係のことである。 2015年の平和安全法制審議への反対運動を機に、左派系野党が国会活動や選挙運動において協力関係を築いたことを指す。特に、イデオロギー上の制約から他野党との連携に消極的であった日本共産党が、初めて他党との本格的な協力関係を持ったことが特筆される。 「民」「共」とは、野党第一党であった民主党(その後継政党の民進党および立憲民主党)および連携を主導した日本共産党から一字ずつ取ったものである。その他の小政党(社会民主党、自由党、れいわ新選組など)を加えて、野党共闘(やとうきょうとう)とも呼ばれることもある。支持者は「野党と市民の共闘」と呼称することもある。 一方、批判的なものは「国共合作」になぞらえて「民共合作」[1][注 1]、あるいは「立憲共産党」[注 2]と呼ぶこともある[6][7][8](詳細は後述)。 1994年の政治改革以来、小選挙区比例代表並立制により、自由民主党・公明党の連立与党を除く非自民党派の大半は民主党へと結集し、2009年には民社国連立政権が成立する。しかし2012年、野田第3次改造内閣のもとで行われた第46回衆議院議員総選挙で民主党は議席の4分の3を失う大敗を喫し、自公両党が与党(第2次安倍内閣)に復帰する。選挙後、自公政権はアベノミクスによる景気回復路線をとり支持を集める一方、民主党は有効な対立軸を打ち出せず、2013年の参院選、2014年の衆院選と、自公両党の勝利、民主党の低勢は続いた。 民主党が与党失陥の痛手から抜け出せないのにかわって復調したのが、共産党であった。共産党は、共産主義というイデオロギーの相違から他の左派系政党との連携は従来低調で、二大政党制が定着しつつあった2000年代は党勢が縮小しつつあった。しかし、自由主義的経済政策を打ち出した自公与党に対して、"新自由主義"批判、"自共対決"を打ち出し、民主党以上の対抗姿勢を示すことにより、民主党にかわる反与党活動の中心的存在感を獲得、2013年参院選(改選3議席→8議席)、2014年総選挙(改選8議席→21議席)ではいずれも議席を大幅に伸ばした。2015年統一地方選では、結党以来初めて、全都道府県議会で議席を獲得した[9]。 共産党を中心とした左派系政党の共闘が成立するきっかけとなったのは、自公与党による安保政策への反対運動であった。安保政策によって沖縄県の在日米軍の存在がクローズアップされる中、沖縄県知事選挙(2014年11月16日投開票)において、"在日米軍普天間基地の辺野古移設に対する反対"の一点のみを争点とした「オール沖縄」体制が、従来の保革の相違を超えて結成され、翁長雄志候補が勝利。同年末の総選挙でも、沖縄県限定で選挙区調整が行われた結果、オール沖縄勢力が4選挙区で全勝した[10]。 翌2015年夏、平和安全法制の審議において、民主、共産、社会、生活の左派系4野党は院内でのピケ戦術を含む反対運動を展開、院外でも旧社会党・共産党系列の新規団体「戦争させない・九条壊すな!総がかり行動実行委員会 提案を受けた民主党内では、党内の保守系の議員は、連立政権の樹立に否定的な立場をとった。しかし一方で、来夏に迫った参院選での野党候補の共倒れを避けるためにも、共産党との選挙区調整は行いたいというのが本音であった。この民主党内の意向を受けて、共産党は、2016年2月19日に行われた民主・維新・共産・社民・生活5野党党首会談において、共産党は国民連合政府構想は棚上げとするとともに、左派政党間での選挙協力、候補者調整に共産党も加わる旨を表明した。同時に、以下の4項目での合意が成立した[11]。 また、在野の運動団体として、新たに「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」(市民連合)が結成された。 第24回参議院議員通常選挙(2016年7月10日投開票)において、選挙区調整は当時32あった一人区すべてに対して行われ、民共共闘勢力はいずれも統一候補を立てた。
概要
呼称
歴史
共闘成立まで
共闘の成立
安保法制の廃止と集団的自衛権行使容認の閣議決定撤回を共通の目標とする
安倍政権の打倒をめざす
国政選挙で現与党およびその補完勢力を少数に追い込む
国会における対応や国政選挙などのあらゆる場面でできる限りの協力を行う
共闘の深化
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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