8月26日に菅が退陣を正式に表明したため[35]、民主党代表選が行われ、野田佳彦・海江田万里・前原誠司・鹿野道彦・馬淵澄夫の5人が出馬した。代表選では小沢と鳩山のグループから支援を受けた海江田が先行し、前原と野田が追う展開となった[36]。第一回投票では海江田が最多の143票を得るが過半数には至らず、野田との決選投票では前原・鹿野陣営の支持を集めた野田が勝利し、第9代党代表に選出された[37]。
野田佳彦政権野田内閣の顔ぶれ
第9代党代表に選出された野田佳彦は、2011年8月30日の衆参両院本会議内閣総理大臣指名選挙において第95代内閣総理大臣に指名された。野田は野党時代より東京裁判をめぐりA級戦犯の名誉回復を主張するなど民主党内では保守派と見なされており、防衛政策や歴史観の面では自民党と変わらないと評されていた。経済政策面では財政政策重視派で、消費税引き上げをやむなしと考えた点でも自民党に近い立場にあった。事実、代表選挙当時から消費税率を現行の5%から10%に引上げる消費増税を掲げたが、歳出削減が進んでないうえ、景気にも悪影響だとして小沢グループや連立を組む国民新党などから反対意見が噴出した。このため、野田は小沢とも良好な関係にある党参院会長の輿石東を「党内融和」の象徴として幹事長として起用(党参議院議員会長も兼務)し、挙党体制の構築に努めた。
しかし、閣内では経産相の鉢呂吉雄や小沢グループから起用された国家公安委員長の山岡賢次、防衛相の一川保夫らに閣僚の資質が問われる問題が続出した。
元民主党議員の松木謙公(著書で2011年中の新党大地入党を示唆)らは、新党大地へ合流、新党大地・真民主を結党した[38]。さらに12月28日、小沢に近い内山晃ら9人の衆議院議員が離党届を提出(認められず除籍処分)、新党きづなを結成。他にも離党が相次ぎ、2011年の間だけで民主党は14人の国会議員を失うことになった。
2012年1月13日、野田は内閣改造を行った(野田第1次改造内閣)。今国会の最大の課題とする消費増税関連4法案を含む社会保障・税一体改革関連法案を国会で成立させるため、野党との協力関係構築と人心一新、体制強化を目的とした。「三党合意」も参照
しかし、改造後も閣内外で問題が頻出。防衛相の田中直紀は北朝鮮ミサイル問題に関する失言で、国交相の前田武志は公職選挙法に抵触する可能性がある問題で、閣僚としての資質が問われ、4月10日に参議院で問責決議案が可決された。
また、社会保障・税一体改革関連法案が閣議決定されたことに抗議し政府・党の要職を辞任する者が相次いだ。連立を組む国民新党も社会保障・税一体改革関連法案が閣議決定された事で連立離脱派と維持派が対立、離脱派で代表の亀井静香らが離党する(金融・郵政改革担当大臣の自見庄三郎が代表となり、連立維持)など党内外で混乱を露呈する事態となった。5月には中国の一等書記官によるスパイ疑惑が政治問題化したこともあり、野田は組閣からわずか5ヶ月余りで、内閣再改造(野田第2次改造内閣)を行う事態となった。
社会保障・税一体改革関連法案の採決は6月26日に衆議院本会議で行われ、民主党・国民新党・自民党・公明党・たちあがれ日本などの賛成多数で可決された。消費増税法案の採決では反対の意を表明していた鳩山、小沢以下57名が反対票を投じ、原口一博・小沢鋭仁ら13名が棄権、2名が欠席(病欠した元首相の羽田孜を除く)するなど72名の造反者を党内から出した。
野田は造反者に対して除籍も含めた厳しい処分方針を示唆した。一方で輿石は党内融和と分裂回避を重視する観点から小沢と数回に渡って会談を持つも、消費増税法案の撤回を求める小沢と分裂を避けたい輿石の議論は平行線をたどった。小沢が離党と並んで検討していた党籍を残したまま会派を離脱する案は野田が拒否。院内会派離脱願が受理される可能性がなくなり、7月1日午後に小沢は記者に離党の意思を表明した。
2日、小沢ら国会議員52名(後に2人が撤回し50名)が離党届を提出した[39]。3日、党執行部は離党届を提出した小沢ら衆院議員37名を除籍処分とする方針を決定。鳩山は党員資格停止6か月、衆院議員18名には党員資格停止2か月の処分とする方針を決定した[40]。棄権・欠席した衆院議員15名についてはそれぞれ常任幹事会名の厳重注意、幹事長名での注意とした[41]。
党倫理委員会での審査を経て、9日、党執行部は小沢ら衆院議員37名の除籍を正式決定。一方鳩山の党員資格停止期間は短縮された[42]。
小沢グループの離脱後も党分裂は収まらず、17日には谷岡郁子ら参院議員3名が反原発掲げ「みどりの風」を立ち上げた[43]。消費税増税関連法案の採決以後の離党者が55人となり[44]、参議院では第2会派との差が2人まで縮まった[45]。
8月、社会保障・税一体改革関連法案の参院採決が迫り、除籍された小沢らが結成した国民の生活が第一を含む野党会派が、消費増税法案採決を阻止すべく野田内閣に対する内閣不信任決議案を上程した。採決前日の8日、野田は、自民党総裁谷垣と公明党代表・山口那津男を交えた党首会談で、衆院解散について「近いうちに国民に信を問う」こと、消費増税法案に賛成することで合意。9日、一部を除く自民・公明の各衆院議員が採決を欠席し、内閣不信任案は否決された。
しかし、内閣不信任案や消費増税法案は民主党内の造反が相次ぎ、一部議員は除籍された。29日に参院で上程された野田首相への問責決議案は、一転自民党が賛成に回り可決された。9月、地域政党である大阪維新の会が国政進出を目指し、日本維新の会を結成。党内からも松野頼久らが離党届を提出し合流した。執行部は各議員の離党届を受理せず除籍処分としたが、離党者の増加に歯止めがかからなくなった。
10日、党代表選挙が告示され、一時は再選を狙う野田に対し、総選挙での惨敗を危惧する勢力から環境相兼原発事故担当相の細野豪志を候補に擁立する動きを見せたが断念、最終的に野田と元農水相・赤松広隆、元総務相・原口、前農水相・鹿野が立候補し、野田が1回目の投票で総投票数の過半数となる818ポイントを獲得し、再選された。
10月1日には野田は内閣改造を実施した。野田と代表選で戦った原口・赤松・鹿野の3グループから登用はなく、反発する声や離党者が相次いだ[46][47]。
しかし、3度目となった内閣改造も、法相兼拉致担当相の田中慶秋が早期辞任(事実上の更迭)に追い込まれた。また、野田が自民党前総裁の谷垣らと交わした「近いうちに解散する」という約束をめぐり、解散時期について自民・公明両党と対立した。 各社世論調査で内閣支持率が軒並み低迷し、求心力を失っていた野田は、日本維新の会などの「第三極」の選挙準備が整う前に解散・総選挙を行うのが得策と判断。11月に入ると自民・公明両党の求めに応じる形で、年内に解散・総選挙を行う意向を明らかにした。野田は、衆院議員定数削減やTPP交渉参加推進などを党公約として選挙戦に打って出る構えを見せたが、党内では選挙を行えば惨敗必至として反対意見が相次いだ。しかし11月14日、国家基本政策委員会合同審査会における党首討論において、自由民主党総裁の安倍晋三との討論の中で「(衆議院議員定数削減法案への賛同の)御決断をいただくならば、私は今週末の16日に解散をしてもいいと思っております」と発言、2日後の衆議院解散を宣言する。
下野