民主党_(アメリカ)
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民主党の起源は憲法制定期の反連邦派(英語版)(リパブリカンズ 共和派)までさかのぼることができるが、直接の前身はトーマス・ジェファーソンらが創設した民主共和党である[40]。同党は州権論を標榜し、連邦主義の強い国民共和党に対抗し[41]1828年アメリカ合衆国大統領選挙アンドリュー・ジャクソンを当選させ、民主党と改名した[40]民主党最初の大統領アンドリュー・ジャクソン

初期の頃のジャクソンの民主党は東部名望家層の支配に反発する新興西部の農民やコモン・マン(家柄や教育がない人々)の利益を代表し、特権廃止、機会均等、競争の自由、普通選挙制、官職交替制、全国党大会制など民主的諸制度の確立に努めたが[40]、ジャクソン大統領の度重なる拒否権行使などに反発を強めた反ジャクソン諸派が糾合して1834年にホイッグ党が結成され、この後しばらく民主党とホイッグ党の二大政党制となった(第二政党制[42]

1830年代末に南部利益の代弁者であるカルフーン派が民主党に復帰すると、ジャクソン時代とは逆に黒人奴隷を使役してプランテーションを経営する南部入植者たちが党のヘゲモニーを握るようになり、奴隷制の維持拡大を求める南部保守主義の影響が強まった。党は分裂を回避するために奴隷制問題への態度表明を避けるようになった[43]

しかし、1850年代には工業化する北部を中心に奴隷制問題が政治争点として浮上し、民主党内も奴隷制を支持する南部民主党員と奴隷制への批判を強める北部民主党員の間で亀裂が深まった[44]。特に1857年カンザス準州で制定された奴隷制支持の条文を含むルコンプトン憲法(英語版)の是非をめぐって、同憲法を支持した南部贔屓のブキャナン大統領派と、これに反対するダグラス派が激しい党内対立を起こした[45]

1850年代半ばにはホイッグ党の消滅と、北部を基盤に反奴隷制を標榜する進歩主義政党共和党の台頭が起こり、ジャクソン時代から連邦議会の支配権を握ってきた民主党は1858年の選挙で少数派に転落[46]。さらに奴隷制が争点となった1860年アメリカ合衆国大統領選挙では民主党はダグラスを擁立した北部民主党(英語版)と、それに反対して奴隷制支持者ブレッキンリッジを擁立した南部民主党(英語版)に分裂したため、北部の都市を集中的に回る選挙戦を展開した共和党のリンカーンが当選した[47]

南北戦争後、党は再統一したものの[48]、長期の停滞を余儀なくされ、共和党政権に対する半永久的な野党となった。第三政党制第四政党制期(1860年から1932年)にはグロバー・クリーブランドウッドロウ・ウィルソンのそれぞれ2期16年しか大統領を輩出できず、いずれも共和党の内紛に負うところが大きかった[40]。19世紀前半が農民を支持基盤とし、土地利益の促進を目指した民主党の時代とするなら、19世紀後半は産業資本とそれと利害関係を持つ西部農民を支持基盤として急激な工業化を図る共和党の時代だった[49]

しかし、この間も民主党は反中央集権と個人的自由を打ち出すことによって共和党政権に取り残された不満層の受け皿として存続した[50]。南北戦争の敗地にされ、共和党政権に怨念を持つ南部の人々、北部の都市部で低賃金に苦しむ移民(特にカトリック)、資本主義の発展で没落していく西部の中小農民などがこの時期の民主党支持層だった[51]。この時期、北部の工業都市は外国(特に先進資本主義国イギリス)の工業から国内市場を防衛する手段として保護関税を求めていたので、共和党政権がそれを推進したのに対し[52]、南部の農村部は低関税ないし自由貿易を求めたため[53]、民主党の候補は関税引き下げを選挙で訴えた[54]

共和党が大実業家の利益の代弁者となって政治的腐敗が進行したことで政治刷新を求める運動が高まり、その機運を背景に党は1912年にウィルソンを大統領に当選させることに成功したが、第一次世界大戦後には再び共和党に敗北し、長らく政権の座から遠ざかった[55]民主党の都市化・左傾化を決定づけたフランクリン・ルーズベルト

1920年代になると民主党は都市大衆を基盤とした勢力として本格的に再生されていく。世界大恐慌を背景に党の都市化を完成させたのが1932年に大統領に当選したフランクリン・ルーズベルトと彼のニューディール政策だった[40]。特に第二次ニューディール政策は老齢年金や失業保険などを定めた1935年の社会保障法の制定や高率の累進所得税や法人税の設定など左旋回が顕著であり[56]、これを契機に党は社会的自由主義を推進する政党となった[57][58]。労働者や小農、失業者、移民、黒人などの低所得者層から支持され、この支持層を「ルーズベルト連合」と呼ぶようになり[59]1936年以降の長年にわたる多数党化に成功した[40]。ルーズベルトの登場後、民主党の左傾化は決定的となり、逆に共和党や南部民主党勢力(英語版)はルーズベルトへの対抗から保守化を強めていった[60]
第二次世界大戦終結後

第二次世界大戦後にはソ連の不穏な動き・北朝鮮による韓国の侵略などで反共主義が高まり、共和党のマッカーシー上院議員らによる赤狩りなどの風潮の中、民主党政権は共産主義と結びつけられて信用を失墜していった[61]


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