民主党_(アメリカ)
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その後はロナルド・レーガン政権の2期8年、ジョージ・H・W・ブッシュ政権の1期4年の12年に渡る長期の共和党政権下で民主党は野党に甘んじた[55]。保守色の強いレーガンの時代に共和党の南部進出はより強固となり、1980年1984年の大統領選挙では「レーガン・デモクラット(英語版)」と呼ばれる南部民主党員のレーガン支持現象が発生している[68]。1984年アメリカ合衆国大統領選挙では、女性初の副大統領候補ジェラルディン・フェラーロを指名した[69]ニューデモクラット(英語版)の中心人物であり、民主党の左翼色を弱めて中道政党化を推進したビル・クリントン

また、1980年代には高いレーガン人気のもとで、民主党内でもレーガンの「小さな政府」論に影響を受けてニューディール・リベラリズムから脱却しようという機運が若い民主党員の間で起こった。彼らは恵まれない有権者への配慮という伝統的な党の立場に軸足を残すことでレーガンと差別化しつつ、従来の党主流派リベラルを労働組合の傀儡と批判した。この勢力はやがてニューデモクラット(英語版)と呼ばれるようになり、アーカンソー州知事ビル・クリントンがその代表格だった[70]1992年アメリカ合衆国大統領選挙では南部や中道の票を確保できる候補と期待されたクリントンが党大統領候補となり、湾岸戦争の勝利で有利とみられていた現職父ブッシュの再選を阻止して当選を果たし、12年ぶりに民主党政権を誕生させた[71]。クリントンはこれまでの民主党大統領より経済問題で共和党保守派に近い立場だったが、社会・文化問題はリベラルな立場だったので結局二大政党の対立は緩和されず、目玉の医療保険改革も共和党の反対で挫折し、支持率は低下、1994年中間選挙では上下両院とも共和党に過半数を奪われた[72]。しかしこの選挙で党内リベラル派が退潮したのでクリントンは本来共和党保守派の争点だった社会福祉改革、財政均衡、犯罪防止強化、家族重視の価値観、不要な規制撤廃などを政策アジェンダに取り込み、民主党に付きまとう「増税と歳出増の党」というイメージの払拭を図った。加えて冷戦終了後の軍縮による財政赤字の減少・オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件の優れた演説・好景気などに後押しされて支持率が再上昇し、1996年アメリカ合衆国大統領選挙で再選された[73]。2期目の任期をクリントンはうまく乗り切り、1998年には連邦財政の黒字を叩き出し、増税と社会政策への野放図な支出という民主党のイメージを一変させ、民主党の中道政党化を完成させた[74]

2000年アメリカ合衆国大統領選挙ではクリントン政権のアル・ゴア副大統領が党の大統領候補として出馬したが、クリントン政権末期の不倫スキャンダルが尾を引いたことや左派の第3候補であるラルフ・ネーダーの出馬で票を削られたことで、共和党の大統領候補であるジョージ・W・ブッシュに得票数ではわずかに上回るも獲得選挙人数で敗北して落選となり、政権を失った[75]2001年9月11日同時多発テロ事件後には国民団結ムードの中で民主党もブッシュ政権に協力の姿勢を取り、テロ直後のアフガン戦争はほぼ挙国一致で遂行されたが、その後のイラク戦争をめぐっては民主党内は意見が分かれ、2002年10月の対イラク武力行使容認決議案に約半数の民主党議員が反対に回っている。しかし「戦時大統領」ブッシュの強い人気のもと2002年の中間選挙は民主党が上下両院とも議席を減らして敗北[76]。その後イラク戦争への批判が高まってくるとブッシュ政権の支持率は低下傾向に入ったが、2004年アメリカ合衆国大統領選挙は党の大統領候補であるジョン・フォーブズ・ケリーがブッシュに敗北しており、同時に行われた上下両院選挙でも民主党はさらに議席を落とすという惨敗に終わった[77]。しかし2期目の中間選挙である2006年11月の議会選挙はイラク戦争問題だけでなく、ハリケーン・カトリーナ被災の対応遅れや共和党議員のスキャンダルなどが連続する中で行われたため、民主党が上下両院において多数派を奪還している[40]初の非白人大統領バラク・オバマ

2008年アメリカ合衆国大統領選挙ではケニアにルーツのある黒人系の血を引く党の大統領候補であるバラク・オバマがアメリカ史上初めて非白人の大統領に選出され、8年ぶりに政権を奪還した[40]。また、同時に行われた上下両院の議会選挙でも議席を伸ばした。オバマは国民皆保険の公的健康保険制度の導入を目指したが、共和党や民主党右派の強い反発によって修正を迫られ、最終的には民間保険会社に対する政府の監督を強化すると共に低所得者層の保険料控除制度を州ごとに創設させ、事業者に従業員の保険加入を義務付ける医療保険改革案(オバマケア)を2010年3月に成立させた。しかしこれには巨額の政府支出が必要となり、共和党右派は「社会主義」と批判してオバマ攻撃を強めた。失業率の高さもあって2010年の中間選挙で民主党は議席を減らし、上院では過半数を維持したものの、下院では共和党に過半数を奪われた[78]2012年アメリカ合衆国大統領選挙ではオバマ大統領が再選を果たしたが[79]、同時に行われた議会選挙は上院は民主党、下院は共和党というねじれが続いたままの結果となった[80]。さらに2014年の中間選挙では上院も下院も共和党に過半数を奪われた[81]

2016年アメリカ合衆国大統領選挙では史上初の女性大統領の誕生を目指す元ファーストレディヒラリー・クリントンを党の大統領候補に正式指名したが、共和党の大統領候補であるドナルド・トランプに対して得票数では約300万票上回ったものの獲得選挙人数で敗北したため政権を失った。しかし2018年11月の中間選挙では民主党が下院の過半数を奪還することに成功した[82]

さらに2020年アメリカ合衆国大統領選挙ではオバマ政権の副大統領だったジョー・バイデンを党の大統領候補に正式指名し、現職のトランプを破って当選した[83]。同日に行われた下院選挙と上院選挙でも民主党は両方で過半数を獲得した(上院はカマラ・ハリス副大統領の議長決裁含む)。2021年1月20日正午(日本時間1月21日午前2時)に正式にバイデンが第46代大統領に就任した。なお、この時議会周辺はトランプ支持者によるアメリカ連邦議会占拠の影響で厳戒態勢が敷かれた[84]。民主党がホワイトハウスと上下両院をすべて掌握したのは2009年以来のことである[85]
党の思想や傾向など
党の基本的立場

一般に共和党が市場を重視する「小さな政府」を推進するのに対し、民主党は平等主義を志向し、政府の役割を重視する「大きな政府」を推進するとされる。そのため民主党は福祉(公的扶助)に関して拡充を目指し、公的扶助受給者に対して介入を行うことに反対する傾向がある。対して共和党は公定扶助をできる限り縮小するとともに、公的扶助受給者には勤労論理教育や労働を義務付けることを目指す傾向がある。


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