民主主義
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民主主義には直接民主制間接民主制があり[3][2]、また自由主義的な自由民主主義(批判的にブルジョワ民主主義)の他に、経済的平等を重視する社会主義プロレタリア民主主義なども登場した[6]
概説
デモクラシー

「デモクラシー」(英語: democracy)の語源は 古代ギリシア語: δημοκρατ?α(d?mokratia、デーモクラティアー)で、これは「人民民衆大衆」などを意味する δ?μο?(古代ギリシア語ラテン翻字: demos、デーモス)と、「権力支配」などを意味する κρ?το?(古代ギリシア語ラテン翻字: kratos、クラトス)を組み合わせたもので、「人民権力」「民衆支配」「国民主権」などの意味を持つ [7]

「デモクラシー」は、優れた人(貴族)による権力・支配を意味する「アリストクラティア」(貴族制寡頭制などと訳される)との対比で使用された。両者は権力者や支配者の多寡(多数派か少数派か)に注目した用語である。なお「アリストクラティア」( ?ριστοκρατ?α(古代ギリシア語ラテン翻字: aristokratia)は「優れた人」を意味する ?ριστο?(古代ギリシア語ラテン翻字: aristos、アリストス)と、 「権力・支配」を意味するκρ?το? を組み合わせたものである。

しかし、古代ギリシアの衰退以降は「デモクラシー」の語は衆愚政治の意味で使われるようになり、古代ローマでは「デモクラシー」の語は使用されず、王政を廃止して元老院市民集会が主権を持つ体制は「共和制」と呼ばれた。

近代啓蒙主義により「デモクラシー」は、自由主義思想の用語として再び使われるようになった(自由民主主義)。近代の政治思想上で初めて明確にデモクラシー要求を行ったのは、清教徒革命でのレヴェラーズ(Levellers、平等派、水平派)であり[8]、更にフランス革命により君主制・貴族制神政政治などと対比され、また20世紀以降は全体主義との対比でも使用される事が増えた。なお政治学では、非民主主義の総称は「権威主義(権威主義政体)」と呼ばれる。
民主政と民主制

日本語で「デモクラシー」は通常、主に政体を指す場合は「民主政」、主に制度を指す場合は「民主制」、主に思想・理念・運動を指す場合は「民主主義」などと訳が分けられている。なお政治学では、特に思想・理念・運動を明確に指すために「民主主義」のカナ転写である「デモクラティズム[9]」(: democratism[10])が使用される場合もある。

なお、現代ギリシャ語ではδημοκρατ?α(ディモクラティア)は「民主制」を表すと同時に「共和国共和制)」を表す語でもあり、国名の「?共和国」と言う場合にもδημοκρατ?αが用いられる。
「民主」という語・「republic」など語義混在

[11]民主という言葉は、伝統的な中国語の語義によれば「民ノ主」すなわち君主の事であり書経左伝に見られる用法である。これをdemocracyやrepublicに対置させる最初期のものはウィリアム・マーティン(丁?良)万国公法(1863年または64年)であり、マーティンは a democratic republic を「民主之国」と対訳していた。しかしこの漢訳は、中国や日本でその後しばらく見られるようになる democracy と republic の概念に対する理解、あるいはその訳述に対する混乱の最初期の現れであった。マーティンより以前、イギリスのロバート・モリソン(馬礼遜)の「華英字典」(1822年)は democracy を「既不可無人統率亦不可多人乱管」(合意することができず、人が多くカオスである)という文脈で紹介し、ヘンリー・メドハースト(麥都思)の「英華字典」(1847年)はやや踏み込み「衆人的国統、衆人的治理、多人乱管、少民弄権」(衆人の国制、衆人による統治理論、人が多く道理が乱れていることをさすことがあり、少数の愚かな者が高権を弄ぶさまをさすことがある)と解説する。さらにドイツのロブシャイド(羅存徳)「英華字典」(1866年)は「民政、衆人管轄、百姓弄権」(民の政治、多くの人が道理を通そうとしたり批判したりする、多くの名のある者が高権を弄ぶ)と解説していた。

19世紀後半の漢語圏の理解はこの点で一つに定まっておらず、陳力衛によれば Democracy は「民(たみ)が主」という語義と「民衆の主(ぬし、すなわち民選大統領)」という語義が混在していたのである。一方で日本では democracy および republic に対しては当初はシンプルで区別なく対処しており、1862年に堀達之助が作成した英和対訳袖珍辞書では democracy および republic いずれにも「共和政治」の邦訳を充てていた。これが万国公法の渡来とその強力な受容により「民主」なる語の併用と混用の時代を迎えることとなる。
理念への評価・独裁国家における自称

民主主義(デモクラシー、民主政、民主制)は、組織の重要な意思決定を、その組織の構成員(人民、民衆、大衆、国民)が行う、即ち構成員が最終決定権(主権)を持つという政体制度政治思想であるが、その概念、理念、範囲、制度などは古代より多くの主張や議論がある。

古代ギリシアの民主主義は、寡頭制(少数派支配)に対する人民支配(民衆支配、多数派支配)であり、法の支配自由自治法的平等などの概念と関連していた。しかしその後は長く衆愚政治を意味するようになり、17世紀以降に啓蒙主義による自由主義の立場から再評価され、社会契約論により国民主権の正統性理念となり、名誉革命アメリカ独立革命フランス革命などのブルジョワ革命に大きな影響を与えた。民主主義は功利主義経験主義の立場からも評価されるが、同時に古代より多数派による専制や、民衆の支持を背景に少数独裁に転じる危険性も存在する。

とりわけ民主主義の理念に対する評価は、2つの世界大戦をきっかけとして20世紀に激変した。第一次世界大戦総力戦となり、ドイツ帝国オーストリア=ハンガリー帝国ロシア帝国などでは帝政が終焉した[12]第一次世界大戦後、「世界で最も民主的な憲法」と言われたヴァイマル憲法下のドイツで、アドルフ・ヒトラー率いるナチス党がドイツ民族の危機を訴えて1932年7月ドイツ国会選挙で大躍進し、更に国民投票で「総統」となった。第二次世界大戦では「民主主義と全体主義の対決」という意味づけが特に途中から参戦したアメリカ合衆国によって強調され、冷戦の開始後は「全体主義」にソビエト連邦スターリン主義が加えられた[12]。戦争中は銃後の女性を含め多くの国民が戦争に動員され、戦争に貢献する以上は政治的発言も認められるべきとして、結果として選挙権の拡大につながった[12]。詳細は「人民民主主義」を参照


こうして民主主義の正当性は高まり、最も独裁的な国家すら「自らこそが真の民主主義を体現している」と主張するようになり、民主主義の理念を否定する体制が事実上なくなった反面、「民主主義とは何か」が曖昧ともなっている[12]言論NPOによると、アジアでは民主主義が後退している。2021年時点のエコノミスト・インテリジェンス・ユニット(EIU)の「民主主義指数」によると、完全な民主主義国家(Full democracies)に分類される国は、日本と台湾、韓国のみとなっている[13]


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