毘沙門天
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注釈^ vai(「広く」、「多く」、または「あまねく」) + ?rava(名詞、?r?「聞く」を意味する動詞語根から派生した) + ?a(接尾語)。田辺睦美によれば、「原意は『あまねく(多く、広く)聞いた人あるいは聞かれた人』」[1]。ただし、田辺は著書『毘沙門天像の誕生』のなかで、この解釈に疑義を呈している。
^ 『ミリンダ王の問い』など。
出典^ 田辺 1999, p. 166.
^ 田辺 1999, pp. 2?3.
^ a b 「毘沙門天」 - 精選版 日本国語大辞典、小学館。
^ a b c 藤巻一保、羽田守快、大宮司朗『印と真言の本』学研、2004年、126頁。
^ 田辺 1999, p. 2.
^ 田辺 1999, p. 29.
^ 田辺 1999, p. 28.
^ a b c 江口正尊、「毘沙門天」 - 日本大百科全書(ニッポニカ)、小学館。
^ 田辺 1999, p. 32.
^ 田辺 1999, p. 33.
^ 田辺 1999, p. 34.
^ 田辺 1999, p. 45.
^ “Jambhala and Vajradhara”. Tibet Museum - Fondation Alain Bordier. 2022年1月3日閲覧。
^ a b 坂内龍雄「真言陀羅尼」平河出版社、2017年4月第30刷、p161。
^ 綜芸舎編集部『梵字入門』綜芸舎、1967年、p20。
参考文献
田辺勝美『兜跋毘沙門天像の起源』山喜房佛書林、2006年。
田辺勝美『毘沙門天像の誕生 シルクロードの東西文化交流』吉川弘文館〈歴史文化ライブラリー〉、1999年。
橋本章彦『毘沙門天 日本的展開の諸相』岩田書院〈日本宗教民俗学叢書7〉、2008年。
信貴山千手院 編『一目でわかる 毘沙門信仰の手引き』国書刊行会、2009年。
関連項目
仏の一覧
四天王
十二天
七福神
吉祥天
弁財天
大黒天
小栗判官
刀八毘沙門天 - 毘沙門天像の異形
八大夜叉大将 - 毘沙門天の眷属
毘沙門天二十八使者 - 毘沙門天の眷属
聖徳太子 - 物部守屋追討の折四天王に戦勝を祈願し、後に四天王寺を建立したことが日本書紀に記載されている。また毘沙門天を祭るために信貴山を開山したという伝承もある。
六甲山雲ヶ岩(紫雲賀岩) - 法道仙人が修業中、紫雲に乗った毘沙門天が出現したという伝承がある。付近の弁財天を祀る巨大な磐座、六甲比命神社と関連するものと思われる。周辺一帯は、巨大な磐座が多い所であるが、神戸市北区唐櫃の吉祥院多聞寺(法道仙人開基)の奥の院とされている。
伽耶院黄金水 - 法道仙人が金色に輝く滝壺から毘沙門天を感得されたということから、この池を黄金水と呼んでいるという。
上杉謙信 - 毘沙門天を篤く信仰しており、祀った毘沙門天像を泥足毘沙門天と云い、軍の旗印にも「毘」の文字を使った。
96式装輪装甲車 - 自衛隊イラク派遣の際に車体側面に「毘」の文字がマーキングされた。
毘沙門天曼荼羅
双身毘沙門天
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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