毎日新聞
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1966年 - 東京本社千代田区有楽町新有楽町ビルヂングがある位置)から現在の同区一ツ橋パレスサイドビルディング)に移転[注釈 2]

1967年6月15日 - 西部本社セット版地区(福岡県、山口県の一部など)の地方版を2ページにする(地方版ワイド化のはしり)。

1971年3月12日 - 西部本社で輪転機8台を損傷する火災が発生する。

1972年 - 沖縄返還協定密約をめぐる「外務省機密漏洩事件」(いわゆる「西山事件」)発生。

1974年6月16日 - 4コマ漫画アサッテ君』(東海林さだお作)が朝刊で連載開始。

1975年4月6日 - 日曜版(日曜くらぶ)に漫画ぐうたらママ』(古谷三敏作)連載開始。

1976年 - 「記者の目」欄開始。(その後記者の目(テレビ版)5社ニュースなどで放送された)

1977年 - 負債を整理する旧社(株式会社毎日)と、通常の業務を行う新社(株式会社毎日新聞社)とに分離する「新旧分離」方式で会社を再建。登記上の本店を大阪から東京に移転。

1978年1月1日 - 前年まで題字に使用していた「新」の本字 / ?)を、通常の字体(新)に変更。欄外の日付表記が元号西暦)から西暦(元号)に変わる。

1985年 - 新旧両社が合併し会社再建計画終結。

1987年8月30日 - 東京本社・北海道支社発行版の紙齢が4万号。

1991年11月5日 - 題字を現在使用しているコバルトブルーに白抜きで『毎日新聞』と明朝体で書かれた物に変更。題字上部のCIマークは“毎日の目”をイメージする。

1992年 - 大阪本社、堂島から現在の西梅田に移転。

1993年 - 社員の早期退職を募集[12]

2003年 - 中部本社が名古屋駅前のビル建て替え(トヨタ自動車と共同)のため、名古屋市中区正木日本経済新聞名古屋支社の旧社屋ビルに仮移転[注釈 3]

2006年 - 中部本社が名古屋駅前のビル「ミッドランドスクエア」完成に伴い再移転。

2007年12月10日 - この日から従来より大きな書体「J字」を採用。他紙の書体の大型化のきっかけを作った。

2008年

4月 - 毎日デイリーニューズWaiWai問題が表面化し、「深刻な失態であり、痛恨の極みです」と謝罪に追い込まれる。

8月30日 - 売上の落ち込みから、北海道支社管内の夕刊を廃止。


2010年

1月 - 記者が1人で勤務する30ヵ所の通信部と駐在を同3月末で休止する方針を会社が労組に提示[13]

3月8日 -2012年春より新潟県内配達の毎日新聞を新潟日報社に委託印刷で合意

4月1日 - 共同通信社に再入会。同時に同日に共同通信社加盟の地方紙東奥日報岩手日報山形新聞福島民報下野新聞上毛新聞山梨日日新聞北国新聞日本海新聞徳島新聞佐賀新聞熊本日日新聞)と記事配信などで包括提携する[14]


2013年

4月1日 - 朝夕刊の1?3面の文字を15段組から12段組に変更。

9月20日 - ホテルナゴヤキャッスルなどを運営する関係会社のナゴヤキャッスルの株を興和に譲渡[15][16]

12月- 新聞購読者にデジタル紙面が無料で読める「愛読者セット」を開始し、デジタル会員となる「毎日ID」も同時に提供開始。


2014年12月31日 - 朝刊の4コマ漫画『アサッテ君』が全国紙連載漫画としては最多記録となる13,749回を以って連載終了。

2015年

2月1日 - 4コマ漫画『桜田です!』(いしかわじゅん作)が朝刊で連載開始。

2月12日 - 東京本社・北海道支社発行版の紙齢が5万号。


2016年3月31日 - 山梨県の夕刊を廃止。

2019年5月29日 - 社員の1割に当たる200人規模の早期退職を募集することと、支局などの地方機関から105人を減らす組織再編を会社が労組に提案[12]
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