毎日放送
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12月31日 - この日を最後にNETテレビ(現在のテレビ朝日)の『23時ショー』のネットを打ち切り、金曜日分の制作からも撤退。地方からの問題提起として話題を撒く。


1974年(昭和49年)

ラジオニュースの編集権が毎日新聞社から毎日放送に移管。ニュースタイトルを『毎日ニュース』に変更。

4月1日 - ANN正式発足。ニュース協定締結。

4月8日 - ラジオの生ワイド番組『ありがとう浜村淳です』放送開始。

11月18日 - TBSから、「1975年(昭和50年)3月31日から朝日放送(ABC)に代わりネットを開始する。」との通告を受ける。


1975年(昭和50年)3月31日 - ANNを脱退し、東京12チャンネルとのネットワーク関係を解消(※近畿放送テレビ→KBS京都サンテレビジョンを経てテレビ大阪。但し、テレビ大阪開局までは番組販売扱いでの放送を継続)。朝日放送に代わって、5社連盟に加盟し、NET系列局から開局以来からの念願であったTBS系列局となる[29]。これにより、テレビネットワークの“腸捻転”が解消される。「東芝日曜劇場」の制作にも参加。また当日から近畿広域圏のJRNのニュースネットワーク担当局が朝日放送ラジオからMBSラジオに移管した。

1976年(昭和51年)1月5日 - 近畿広域圏では初のローカルワイドニュース『MBSナウ』放送開始。

1977年(昭和52年)5月15日 - ラジオの周波数を1210kHzから1180kHzに変更。

1978年(昭和53年)

11月23日 - 国際電気通信連合(ITU)の取り決めにより、周波数が9kHzステップへ移行。それに伴い、午前5時をもってラジオの周波数を1180kHzから1179kHzに変更[29]

12月10日 - テレビの音声多重放送を開始[29]


1980年(昭和55年)4月 - 近畿広域圏初のローカル・ドキュメンタリー番組『映像'80』放送開始(2020年現在、番組タイトルは『映像'20』)。

1982年(昭和57年)

1月16日:同日16時からの放送番組『小澤征爾春の祭典・迫真のPCMライブ』にて、音声媒体としてPCMデジタル録音を採用した、当時としては画期的な番組を放送、多くのTBS系列局で同時ネット放送する。(ステレオ放送。内容は、前年の10月30日大阪フェスティバルホールにてライブ収録された、小澤征爾指揮・ボストン交響楽団の演奏による、ストラビンスキー春の祭典』。MBSの高村昭アナ(当時)による小澤のインタビューも入っている。)[31]

2月11日 - 第1回『毎日カルチャースペシャル ラジオウォーク』を実施。毎年初春の風物詩として毎年2月に開催。年2回の開催を経て、2012年(平成14年)の第31回から、開催日を3月20日春分の日)に固定している(新型コロナウイルス感染が拡大している2020年(令和2年)は中止)。


1983年(昭和58年)

4月7日 - 全国ネットのクイズ番組『世界まるごとHOWマッチ』(東京支社制作、東京での収録)放送開始(大橋巨泉石坂浩二ビートたけし他出演)。

12月4日 - 交響曲第9番 (ベートーヴェン)の第4楽章を1万人前後で合唱する『サントリー1万人の第九』の第1回公演を、主催(サントリーの協賛→特別協賛)事業として大阪城ホールで開催。翌1984年(昭和59年)以降も、毎年12月の第1日曜日に催されている。


1984年(昭和59年)1月25日 - 毎日放送アナウンサーが総出演のバラエティ番組『あどりぶランド』放送開始。放送局のアナウンサー総出演のバラエティ番組の先駈けとなった。

1986年(昭和61年)

3月 - 『選抜高等学校野球大会』を国内テレビ初のサラウンド放送実施。

4月1日 - アナログ・テレビの文字多重放送を開始[29]


1990年平成2年)

4月16日 - 『痛快!明石家電視台』放送開始。

7月 - 毎日放送の社名ロゴタイプを変更。前代ロゴを少し細く・丸帯びたようなものであった。但し、MBSのロゴは従来通り。新しいデザインによる社旗(三色旗)、社章(バッジ)[注釈 22] 制定。

9月1日 - ラジオ開局40周年を機に大阪市北区茶屋町に15階建ての新本社・放送センター完成、同区堂島毎日大阪会館内)にあった登記上本店機能と吹田市の千里丘放送センターの機能の一部を移転・統合[29]。9月1日からテレビは2日間、ラジオは5日間にわたって開局40周年・新社屋放送開始記念の特別番組を制作・放送。


1992年(平成4年)

3月15日 - 午前9時、ラジオのAMステレオ放送開始(TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送、朝日放送と同時)[29]

3月31日 - 民間放送教育協会を脱退。近畿地方においての民教協番組はKBS京都サンテレビジョンテレビ和歌山ラジオ関西和歌山放送がクッション期間としての形で1年間放送した後、1993年(平成5年)から朝日放送に移行。


1995年(平成7年)1月17日 - 兵庫県南部地震阪神・淡路大震災)が発生し、ニューススタジオにあったセットが倒壊。テレビ・ラジオとも、当日午前からすべてのCMをおよそ2日間中止し、その放送枠に安否情報や生活情報を挿入。CM再開後もミニ番組などを休止し同様の情報を1月28日まで連日放送[注釈 23]

1998年(平成10年)

3月25日 - アナログ・テレビのデータ多重放送を開始[29]

4月5日 - 現在も放送しているドキュメンタリー番組『情熱大陸』が放送開始。


1999年(平成11年)

9月 - 『MBSヤングタウン』月 - 金曜分の放送をいったん終了。ただし、土・日曜分は放送を継続しているほか、2018年(平成30年)4月6日から金曜分、MBSラジオへのラジオ放送事業移管後の2021年(令和3年)10月4日から月 - 木曜分の放送を再開している。

10月11日 -夕方の情報生番組『ちちんぷいぷい』放送開始。


2000年(平成12年)9月29日 - 『MBSナウ』放送終了。同年10月2日より『VOICE』へとリニューアル。

2001年(平成13年)

3月31日 - ユニバーサル・スタジオ・ジャパン内にMBSスタジオ in USJ完成[29]
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