毎日放送
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京都支局[14]

所在地:〒604-8186 京都府京都市中京区車屋町通御池下ル梅屋町358 アーバネックス御池ビル西館
京都府・滋賀県全域および福井県南部の報道取材拠点で、報道局から3名の記者が常駐している[15]

神戸支局

所在地 : 〒650-0033[16]兵庫県神戸市中央区江戸町95 井門神戸ビル13階[17]
兵庫県内の報道取材拠点で、報道局から若干名の記者が常駐している。

名古屋支局

所在地 : 〒460-0003 愛知県名古屋市中区錦3丁目6-35 ワキタ名古屋ビル8階[18][19]
2009年(平成21年)12月栄町ビル(同市中区錦3丁目23-31)から現在地に移転。栄町ビル以前は毎日名古屋会館(同市中村区名駅4丁目7-35。現在のミッドランドスクエアの建つ場所)に入居していた。

徳島支局[20]

所在地 : 〒770-0841[21]徳島県徳島市八百屋町2丁目11 ニッセイ徳島ビル6階


日本国外の支局

現在は、パリフランス)と上海中国)に設置。いずれも、毎日放送の活動拠点にとどまらず、JNNの国外支局(放送上の名義は「JNN?支局」)としても機能している。かつては、マニラフィリピン)にも支局(放送上の名義は「JNNマニラ支局」)を設置。2017年10月にパリ支局を自社で開設[注釈 11] するまでは、ベルリンドイツ)に支局(放送上の名義は「JNNベルリン支局」)を設置していた[22]
過去に存在した施設
千里丘センター千里丘ミリカセンター「毎日放送千里丘放送センター」および「毎日放送千里丘ミリカセンター」を参照
MBSスタジオ in USJMBSスタジオ in USJ(現在は閉鎖)「MBSスタジオ in USJ」を参照
シアターBRAVA!大阪ビジネスパーク内で営業していた時期のシアターBRAVA!「シアターBRAVA!」を参照
沿革
設立

第二次世界大戦終結から間もない1947年(昭和22年)、GHQが「放送基本法」と「電波三法」(放送法電波法電波監理委員会設置法)の立法措置を指令し、1950年(昭和25年)6月に施行された。これを契機に「民間放送」の設立が日本各地で相次ぎ、施行前の1950年4月21日、民間放送会社16社に予備免許が下りた。新日本放送株式会社(しんにっぽんほうそう、略称 NJB、英称 New Japan Broadcasting System,Inc.)は、このうちの一つとして関西財界の支援の下、毎日新聞社京阪神急行電鉄(現:阪急阪神ホールディングス)と日本電気(NEC)を中心に設立された。実際に創立の中心となったのは、毎日新聞社を依願退職した高橋信三であった。詳細は「高橋信三#毎日放送の実質創業者」を参照

高橋は民間放送の将来性と必要性を説き、毎日新聞社時代に培った個人のコネクションをフルに利用して出資者や番組スポンサーを募集。設立途中で出遅れた朝日新聞社の机上案に過ぎなかった朝日放送との合併工作という横槍を頑として撥ね付け、現在でもその録音が残る朝日側との激しい公聴会のやりとりの末、漸く新日本放送の開局に漕ぎ着けた。京阪神急行電鉄の資本が入っていた関係で、開局当初は系列企業であった阪急百貨店(現・うめだ本店)屋上に本社・スタジオを構えており、スタジオで行われる公開録音の観覧者のために、百貨店の休業日に関係なく利用できるエレベーターが設置されていたという[注釈 12]
民放初の試験電波発射阪急百貨店うめだ本店13階屋上広場に設置された「民間放送誕生の地」プレート(2016年9月9日撮影)

新日本放送設立翌年の1951年(昭和26年)7月8日、22時00分 - 22時30分。日本の民間放送として初めて試験電波を発射した。電波管理局(「監理局」ではない)の指示により「NJB」と「JOOR」というアナウンス、レコード音楽のみであり、7月12日、26日にも実施された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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