殿山泰司
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^新藤監督と殿山泰司 ふたりの縁がとりもつ瀬戸田・因島・尾道
^ しかしその後弟は、獨逸學協會學校(のち獨協大学)に進学後応召してビルマで戦死した。
^ a b 殿山泰司、『日本映画俳優全集・男優編』、p.392-393.
^ 松竹映画退団後参加した近代映画協会は映画自主制作組織で俳優の人事権は無かった。
^ 新藤兼人著作「三文役者の死」に拠ると実子はなく、それぞれの妻血縁から養子を迎えた。
^ 16歳の時に玉の井遊郭で筆おろしを済ませた[1]
^ 殿山が『裸の島』の撮影前に医師から「死にたければやりなさい」とさじを投げられたが、どうしても彼の主演映画を取りたい新藤兼人は撮影を強行した。しかしロケ地の島には酒はおろか食堂すらなかったため、自然と断酒と粗食生活となり結果的に殿山は危機を脱したとのこと[1]

外部リンク

殿山泰司
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殿山泰司 - KINENOTE

殿山泰司 - 日本映画データベース

殿山泰司 - NHK人物録

この人を見よ!脇役列伝











毎日映画コンクール男優主演賞
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