死生観
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また黄泉戸に塞り坐す大神とも謂ふ(「亦所塞其黄泉坂之石者 號道反大神 亦謂塞坐黄泉戸大神」『古事記』)とあり結界石の神を配置したことが分かり、イザナギが「此よりな過ぎそ(来るな)」といい杖を投げ「岐神」となった(「因曰 自此莫過 即投其杖 是謂岐神也」『日本書紀第6の一書[注 1])あるいは禊ぎ祓いの際投げ棄てた杖が「衝立船戸神」になった(「禊祓也 故於投棄御杖所成神名 衝立船戸神」『古事記』)とも合わせていずれも境の神の性格を持っている[3]。そのため土地の境に石を置き塞(さえ)の神を祀るようになる。女人結界姥捨山の石もやはり他界との境界石であると柳田國男は言う[4]。日本は山がちの地形で山岳信仰もあった為修験道の道場としても発達した。

また地下と同じく海上他界の信仰もあり、古い神道の祖形が残っているといわれる沖縄琉球)ではニライカナイとして知られる。『出雲国風土記』出雲郡宇賀郷の条には海浜になつきの磯という岩があり、その西[注 2]近くに窟戸(洞窟)があってそこに行く夢を見た者は必ず死す、故に黄泉の坂黄泉の穴と云う、という伝承(「自礒 西方 有窟戸 高廣 各六尺許 窟内 在穴 人 不得入 不知深浅也 夢 至此礒之邊者 必死 故 俗人 自古至今 號黄泉之穴也」)を記している。ここには浜の穴が海上他界へと繋がるという発想を見ることが出来ると、民俗学者の折口信夫は指摘している[5]常世の国として表される観念もあり、記紀には少彦名神が粟の茎にはじかれて、海の彼方の常世の国に渡って行ったという話や田道間守の時じくの香の木の実の話、『丹後国風土記』逸文などの浦島伝説にも出て来てこの世と比べ時間が長く流れるのが特徴となっている。ひとつ興味深い例が『日本書紀』皇極天皇紀にあり、常世の虫というのが現世に表れたので都鄙の人「富来たれり」と言い清座に置き歌い舞ったと記されている。常世を使う文脈の中には蓬?山神仙といった神仙思想に基づくと思われる言葉が多々表れることから仏教以前の道教など外来からの影響を指摘する声もあるが、後の隠れ里などに見るように民衆の間の理想郷として定着していった。

日本列島は国土の七割が山地が占められ、山岳信仰の発達する素地が整っていたが文献上で見る限り記紀などの神話には山中他界の描写はみられず、『竹取物語富士山のくだりに神仙思想が窺われるくらいに留まる。本格的に山中他界が看取されるのは越中立山に関してで、『延喜式』には立山の神名が「雄山神」とあり噴火口周辺に地獄谷などがある一帯が聖地化していた節が窺える。長久元年(1040年)の『本朝法華験記』の一節を元にして『今昔物語集』にも地獄谷に死霊が集まるという話を記述している。後には(他界との象徴的な)境界石を立てた先の山中に山伏らが籠もる修験道が各地で発達してゆく。これらの霊山の近くには前出の地獄谷の他三途の川賽の河原などといった『往生要集』の地獄変相図様の地名のあることが多く仏教の影響が大きいことが窺える。
アニミズムと霊魂観

八百万の神に代表されるように古くからある神道はアニミズムの色を帯びていて、無機物である岩などにも注連縄をして祀っているのはその一端である。言霊信仰というのも言葉に力が宿るという考えだが体内から出る息に霊魂を見る発想で息すなわち風である。「生霊」の観念はその表れで古くはどの時点で死んだと言えるか明確でない時代があった。(もがり)の風習はその一例で魂(たま)が完全に遊離しない限りは復活の希望があると見なし魂振り・魂鎮め(後、鎮魂に意味が転化)を行う。これは天の岩戸を開いた天鈿女命の神話に由来するとされる(『古語拾遺』)。ここからは、天照大神が隠れることは、象徴的な死であり、岩戸を開いたことは日の出すなわち復活=黄泉がえりという示唆が導かれる[6]。古くは疫病などは悪しき風によって起こると考えられたらしく「風邪」が元は広く疫病のことを指し邪霊の所為と考えられていたと柳田は『風位考』で指摘し、

「まきむくのあなしの山に雲ゐれば雨ぞ降るちふ帰りこわがせ」

という歌を引き後に穴師神社が建てられ祀ることとなったと考察する。小学館『日本国語大辞典』では「あなぜ(「あな」は感動詞[注 3]、「せ」は風の意。「あなじ[注 4]」とも)」とあり船を苦しめる悪い風としている。後に触れる御霊信仰の一つ牛頭天王を祀るところでははっきり疫病神を鎮める性格を持っている。牛頭はまた現在ののイメージの元でもある。現在一般にイメージされる姿は平安時代頃羅刹の姿が混入して定着したものだが「鬼[注 5]」という字は漢字に当てたもので時代を遡ってみると「もの」という言い表しがたい存在(隠の意に相当)に行き着く。これはおそらく祖霊のことで、喜ばしいものと受け取った形は行事、歳神を迎える正月などの祖霊信仰に見て取れる。愛知長野静岡の山深くに伝わる花祭りでは出ると鬼は共に山から祝福に来る者であるが、ここでは幸をもたらすものと災いをもたらすものの区別が曖昧になり、両者の共通ルーツを示唆している[7]御霊会(訓ではみたまと読み、元々悪い霊という意味はなかった)も不慮の死を遂げた死者の霊の魂鎮めに変化していく。『往生要集』にも「一切の風の中には業風を第一とす。かくの如き業風、悪業の人を将ゐ去りて、かの処にいたる」という表現が見える[8]。これらは正統的教義とは別に民間信仰に根強く伝わっていったのであった。

霊魂が浄土などの彼岸に行ったままではなく帰って来ることもあるという観念と関連して、中国やインドなどに分布する輪廻との関係も見逃せない。


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