しかしながら、そのような考えを誤って徹底させていくと、最終的には現在の個人個人が勝手に自分の歴史「物語」を紡いでしまい、コミュニケーションが成り立たない状態に陥ってしまう。また合理的に考えると実際に起きた出来事まで「所詮は主観だから」と勝手に修正してしまえば、極端な相対主義や歴史修正主義に陥ってしまう。レイモン・ピカール(英語版)は、この極端な立場をハイ・ナラティヴィスト(ロラン・バルトやヘイドン・ホワイトら)と定義し、他方の、「物語り」は世界との関係を維持すると主張する立場をロウ・ナラティヴィスト(ポール・リクールやデイヴィッド・カー)と定義している[8]。
そのため、現在の歴史学では、限定的な客観性(間主観性(ドイツ語版))が保たれるものとして研究を進めることが一般的である。その客観性とは合理性に基づくものである[注釈 6]。例えば、徳川家康が存在したと我々が決めることができるのは、様々な文献や遺物・遺跡から、家康という人物が存在したと仮定するほうが、しないよりも合理的にこれらの証拠を関連付けられるからである。 古典古代以来提唱されてきた伝統的史観のひとつ。循環論はしばしば文明興亡論(後述)とも結びついてきた。 「歴史を導くものと想定されたなんらかの原理から過去の意味を理解し、現在を位置づけ、また未来に見通しをつけることができるとする考え方」[10]。
代表的な歴史観
循環論
政体循環史観
古代ギリシャの歴史家・ポリュビオスが唱えたもので、共同体を統治する政治体制には『王政・貴族政・民主政』の3つがあると述べ、それぞれは長期に渡ると必ず堕落し、次の政体へ変化するという史観。王政は、王を僭称する“僭主政”へ、貴族政は少数の貴族が独裁する“寡頭政”へ、民主政は市民が詭弁家
歴史循環論
18世紀前半のイタリアの哲学者ヴィーコの唱えたもので、循環論と進歩論をあわせたもの。もとの地点に戻るのではなく、螺旋的に発展するとした。ヴィーコの歴史哲学は、20世紀にクローチェに継承された。
歴史の目的論(歴史神学)
キリスト教的歴史観
アウグスティヌスなどによってまとまられた歴史観であり、天地創造から神の国への到達によって終わる目的論的歴史観。失楽園から始まった人間の歴史は、キリストの再臨における神による裁きで終わる、と説く。
ヘーゲル史観
ドイツの哲学者G.W.F.ヘーゲルの著書『歴史哲学講義』によって唱えられた歴史観。歴史とは弁証法的に発展する自己意識の発展の過程であり、自由を獲得する過程であるという観念論的歴史観。ヘーゲルは当時のプロイセン国家の成立を歴史の終わりと見た。
唯物史観
主にドイツの哲学者カール・マルクスが唱えた、ヘーゲルの観念論歴史哲学に対して、生産構造
新進化主義
19世紀に隆盛した社会進化論は、20世紀には衰微したが、第二次世界大戦後に、新進化主義として復活した。