武豊
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これにより、同一クラシック最多騎乗記録更新まであと3回と迫っていたものの、17年連続でストップし[注 9]、その記録の更新も叶わなくなったが、当面はリハビリに専念することを発表した[62]。武は馬に乗れないと何もすることがなく「俺は競馬で乗ることしかできない人間なんだな」と改めて痛感させられたという[62]。6月中旬、左肩のプレートを除去する手術を受け、リハビリのピッチが上がった[62]。7月に入ると左肩の可動域が広がり、回復の兆しを見せた[62]。7月22日、栗東トレセンで約4か月ぶりに馬に騎乗[62]。小学校5年生の時に乗馬を始めてからこれほど長い間馬に乗らなかったのは初めてだったという[62]。8月1日、小倉競馬場で127日ぶりに実戦復帰した[62]。復帰後初めてパドックに姿を現すと、復帰を待ち望んでいたファンから拍手と歓声が沸き起こった[62]。しかし後に武は、「あの時はまだ左肩の状況が悪く、誤魔化しながら乗っていたところがあったかもしれません」と、怪我を抱えたまま無理して復帰したことを告白している[12]。その影響からか、復帰後は思うように勝てない日々が続き[64]、2010年は年間69勝[11]。2011年はデビュー以来最低の年間64勝[11]。2012年はその前年をさらに下回り、年間56勝に終わった[11]。武はこの時期の成績低迷について、「年間200勝していたのが数年後に年間50勝になるのは正直きつかった。『武豊』でも結果が出ないとこういう状況になる。シビアな世界だからしょうがないんですが、2011年、2012年あたりは競馬が楽しくなかった気がします」と当時の苦しかった心境を回顧している[12]。しかしその苦境の真っ只中にいながらも、「『武豊』の真価が今問われているんだぞ」と自分を叱咤激励し続けていたという[12][65]
苦境からのダービー制覇、そして通算4000勝達成(2013年 - 2018年)

2013年3月、キズナで毎日杯を勝利[66]。武はこの勝利により、3年前の同レースで落馬した時から抱いていた嫌なイメージを払拭し、吹っ切れたという[66]。同馬は次の京都新聞杯も勝利し、日本ダービーの有力候補となった[66]。そして迎えた5月26日の第80回日本ダービーでは、1番人気に応えてキズナをダービー馬に導き、武自身の持つ日本ダービー最多勝記録を「5」に更新した[66]。14万人近いファンの「ユタカコール」につつまれて勝利騎手インタビューでスタンド前に立った武に対し、多くのファンから「お帰り」の声がかけられた[66]。武はその声に「僕は帰ってきました!」と力強く応えた[66]。この言葉は事前に用意していた言葉ではなく、ファンの「お帰り」の声が胸に響いて自ずから出た言葉だったという[66]。武は苦境の中で掴んだこの5度目の日本ダービー勝利について、「キズナで日本ダービーを勝てたことは僕のジョッキー生活において分岐点となっています。それぐらい大きい勝利でした」と後に語っている[66][67]。武はこの年、GI2勝、重賞11勝、年間勝利数97勝と前年から大幅に成績を向上させ、低迷期を脱した[68][69]。2015年、年間106勝を挙げて6年ぶりに年間100勝を達成[11]。2016年と2017年はキタサンブラックとコンビを組んで計GI6勝を挙げ、同馬を2年連続年度代表馬に導くなど大舞台で存在感を示した[70][71]。2018年9月29日、阪神競馬場で行われた芦屋川特別でメイショウカズヒメに騎乗して勝利し、JRA通算21235回目の騎乗で前人未踏のJRA通算4000勝を達成した[4]。次なる目標を問われた武は、「明日のレースです。早く4001勝をしたいです」と笑顔で答えた[72]
50代に突入、そして史上最多6度目のダービー制覇へ(2019年 - 現在)

2019年3月15日、50歳の誕生日を迎え、50代に突入[73]。10月20日、ワールドプレミアで菊花賞を勝利し、50歳7カ月6日での史上最年長菊花賞制覇を達成[74]


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