武蔵野市
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また、土屋正忠に拠ると「この施設がより良い運営が出来ているのは、所長に職員、ボランティアスタッフのお陰だ」という[10]

武蔵野市では1973年に全国に先駆けて「武蔵野市地域生活環境指標」を作成した。この指標の意味するところは、分かりにくい行政資料を市民に判りやすくすることであった。また行政資料だけでは、市民参加による市の長期計画づくりに不足しているものが多いということで、当時武蔵野市長期計画策定に参加した佐藤竺(成蹊大学教授)や松下圭一(法政大学教授)と西尾勝(東京大学教授)の三人の提唱により環境指標が作成されている。この頃になると各地方自治体は環境指標の必要性を認め「地域環境図」「コミュニティカルテ」「地区カルテ」などその名称は多様であるが普及し、そしてこの頃、生活基礎指標を公開した自治体もかなりの数にのぼり、今日ではほとんどの自治体で当該自治体の「基本構想」「基本計画」などと合わせて、それらを作成・公開している。また、個別の指標として緑地計画、地域計画・地域施設計画、住宅計画、景観計画などに関わるものもある。しかし、70年代初頭 当時において本来市民と行政と一体となって作成され、公開されていたものは武蔵野市のほかまだ少なかった。

その後ムーバスでしられるコミュニティバス、子育て支援政策「0123」[11]リバースモーゲージ[12][13][14] 等を全国の自治体に先駆けて導入。
地理武蔵野市域のランドサット武蔵野市の街並み

多摩地区の東端に位置し、区部と境界を接している。武蔵野台地に在り、合併時の新自治体名の由来となっている。

市内の交通空白地域をコミュニティバスムーバス」が走る。タクシー営業区域が23区+武蔵野+三鷹で構成されている。三鷹市、小金井市、西東京市と4市で、文化芸術スポーツ施設や保養施設など、公共施設の共同利用を行っている。
歴史
年表
前史

古来 武蔵国に在り現在の武蔵野市に当たる区域は多磨郡内の一部に属した。

慶応4年67月1868年) - 吉祥寺、西窪、関前、境の4箇村に武蔵知県事が派遣される。

明治2年(1869年) - 4箇村が品川県の管下に置かれる。

明治4年(1871年) - 吉祥寺村と西窪村は東京府に、関前村と境村は入間県に編入。

明治5年(1872年) - 4箇村が神奈川県に編入される。

1889年(明治22年)

4月1日 - 4箇村と井口新田飛地(現在の境浄水場付近[15])が一体となり、武蔵野村が成立する。神奈川県北多摩郡武蔵野村。

初代村長に三井謙太郎が就任。

4月11日 - 甲武鉄道の新宿駅 - 立川駅間開通と同時に境駅(現在の武蔵境駅)が開業。

12月30日 - 甲武鉄道の吉祥寺駅が開業。


1893年(明治26年) - 東京府の管下に入る。東京府北多摩郡武蔵野村。

1898年(明治31年) - 池田八右衛門が武蔵野村長に就任。

1899年(明治32年) - 井野久太郎が武蔵野村長に就任。

1900年(明治33年) - 秋本喜七が武蔵野村長に就任。

1913年(大正2年) - 高橋亀三郎が武蔵野村長に就任。

1921年(大正10年) - 秋本録之助が武蔵野村長に就任。

1928年(昭和3年) - 町制施行。東京府北多摩郡武蔵野町。

1934年(昭和9年) - 帝都電鉄(現・京王電鉄井の頭線)吉祥寺駅が開業。

1939年(昭和14年) - 秋本敏男が武蔵野町長に就任。

1941年(昭和16年) - 井野米次郎が武蔵野町長に就任。

1946年(昭和21年) - 町長の井野米次郎が死去。

1947年(昭和22年)4月 - 荒井源吉が武蔵野町長に就任。

武蔵野市小史.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキソースに武蔵野市設置の内務省告示文があります。航空写真に見る武蔵野市。上方に見えるのが武蔵野競技場と東京グリーンパーク球場(1956年撮影)

1947年(昭和22年)11月3日 - 武蔵野市市制施行。人口約63,000人。荒井源吉が初代市長に就任。初の市議会開会。

1948年(昭和23年)

2月 - 学校給食開始。小学校のみであり、中学校は未だに実施されていない。

4月 - ごみの収集開始。

6月 - 市報創刊号発行。


1949年(昭和24年) - 市営運動場を開設。

1950年(昭和25年)10月 - 屎尿のくみ取り開始。

1951年(昭和26年) - 東京グリーンパーク球場が完成。


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