武田鉄矢
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NHK大河ドラマ『功名が辻』の収録では本番直前まで、共演者であり同じく話好きである前田吟とずっと話し続け、本番の際にセリフを忘れることがあった[22]

1996年に日本テレビ系列でテレビドラマ竜馬におまかせ!』が放送された際に、あまりにも史実を無視した内容や設定に憤慨し、脚本を担当した三谷幸喜に「維新回天の英霊を愚弄する低俗な内容、本人の墓の前で土下座して謝罪するべき」と抗議したこともある。
本名

「鉄矢」は本名であるが、大学生の時まで「鉄也」だと思い込んでいた。これは親が「鉄也」と教えていたためであり、試験の際に記入した氏名に対して、担当教官から「ペンネームを使うな」と指摘されたことで発覚した。両親も届け通りの本名を指摘されるまで忘れていたという[注釈 10]。本名発覚当初は困惑していたが段々と受け入れ、使用するようになった[24]。既婚者で娘が二人いるが、個人情報の取り扱いが厳格になった現在は公表していない[注釈 11]。1974年11月27日、カトリック大名町教会で山田節子と結婚。妻は熊本農家の娘で元銀行員
大阪嫌い

母親譲りの大阪嫌いとして有名で、2007年(平成19年)4月4日にTBS系列で放送された『笑福亭鶴瓶のメインキャスト!』において、「数を数える時に節を付けるのがおかしい」「大阪は他人に頼ってきたから主体性が無い」「大阪人は信用できん」「すぐに人を騙す」などと発言[出典無効]。また、ドラマの控え室で大阪府に居住歴のある木村拓哉にずっと大阪に対する悪口を吹き込んでいたため笑福亭鶴瓶が止めに入ったが、武田はそれに対して「大阪のどぶ鼠が!」と切り返した。笑福亭鶴瓶は、テレビ東京系列で放送されている『きらきらアフロ』で「根に持っている」と、『ヤングタウン日曜日』でも一連のやり取りを発言するなど不満を表明している[出典無効]。2007年(平成19年)7月6日放送の武田鉄矢・今朝の三枚おろし内で森喜朗元総理の失言(大阪に対する悪口)を具体的に紹介、隣にいた水谷加奈を大笑いさせた[出典無効]。これらの笑福亭鶴瓶とのやり取りに対し、武田本人は「笑福亭鶴瓶との喧嘩みたいに、芸能人の営業のうちだよ」と答えており、「芸能人の営業」のために大阪や大阪人を揶揄しているともとれる発言をしている[25]

ただし、『白夜行』の大阪府警・笹垣潤三役(神戸弁[26]や『純と愛』の狩野善行役など、関西弁で話す役柄を演じることが度々あり、『JIN-仁-』で緒方洪庵役を演じた際には、緒方の大坂居住歴が長いことに着目し、当初共通語であった台詞を上方言葉に改めて演じた[27]。このエピソードから、俳優としては大阪嫌いのエピソードとは関係なく演じていることがある。

なお、大阪弁は現在でも苦手で、苦手になった理由については「昔、フランスパリへ旅行に行った時に、エッフェル塔の展望台に登ったんです。そこでパリの風景を堪能していたところ、日本人の旅行グループに遭遇して、彼らが大阪弁をやかましくしゃべっていたんです。それを聞いた瞬間に今まで見ていたパリの風景が壊れてしまった」という趣旨の発言をしている。
父について

2023年12月の朝日新聞のインタビューでは中国戦線の復員兵で骨の髄まで軍隊に染まっていた父について語っている。

父は武田に対して「もう1回戦争になったときは武器に恵まれますように」と「鉄矢」と名付けた[28]。1950年代の子供5人を抱えた月給1万円そこらの施盤工にもかかわらず給料をはたいてやけ酒をあおり、酒乱で戦争体験の自慢ばかりする父のことが武田は嫌いであった。あるとき父が戦地で中国の匪賊を何人か日本刀で斬首したことを自慢した際に武田は本当に嫌な気持ちになり、母はそれを聞いて静かに横で首を振っていた。後年武田は戦後当時の父には居場所が無かったのだと慮っているが、父の生前に武田は彼との関係を断ち切っていた[29]

武田が高校生ぐらいになると元兵士が「平和が一番」というようなことをメディアで語る時代となったが、父はこの時代になっても戦争に対して何の反省もなく、いつまで経っても「武器さえれば勝っとう」とばかり話していた。ある時戦友会に出た父が連隊長から「あの武田鉄矢は貴様の息子か」と握手を求められ、父はその話を涙を流して話していたが、父の人生での喜びは武田の存在ではなく「連隊長に褒められた」ことだったのだと呆れた[28]

父は1983年に死去し、生前武田は父とは和解できなかったが、父の死後に戦争経験者である司馬遼太郎阿川弘之の作品を読んだり、シベリア抑留経験者の吉田正三波春夫の曲を聴いたりするうちに、武田は父の不機嫌の正体、言葉で表せないトラウマを理解するようになった[28]
その他

運転免許を取得したのがかなり遅く、1996年に取得した[20]。本人曰く「取得に20年かかった」という[注釈 12]。そのため、『幸福の黄色いハンカチ』では運転するシーンはトレーラーでけん引しながら撮影された[注釈 13]。この免許取得の経験が、ドラマ『教習所物語』の原案に繋がっている。

西田敏行とは、『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』でコント共演をして以来、家族ぐるみの付き合いをしている。「西やん」、「鉄ちゃん」と呼び合うほど仲のいい親友である。2010年(平成22年)にはNHK-BS2のBSエンターテイメント「西田・武田の笑モード」で久しぶりに共演している。


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