日本の医薬品企業(製薬メーカー)での売上高は1位であり、世界の医薬品企業での売上高(2019年)は9位である[5]。アステラス製薬(旧:山之内製薬・旧:藤沢薬品工業、同18位)、第一三共(旧:三共・旧:第一製薬、同20位)、大塚ホールディングス(大塚製薬・アース製薬・大塚食品・大鵬薬品工業・大塚製薬工場、同21位)、エーザイ(同29位)と共に国内5大医薬品メーカーのひとつである。
連結売上高のすべてが医療用医薬品売上で、消化性潰瘍治療薬、制癌剤などを主力製品とする。2016年度の製品別の連結売上高の上位は、「エンティビオ(国内製品名:エンタイビオ)」(潰瘍性大腸炎・クローン病治療剤)、「ベルケイド」(多発性骨髄腫治療剤)、「リュープロレリン(国内製品名:リュープリン)」(前立腺癌・乳癌・子宮内膜症治療剤)、「パントプラゾール」(消化性潰瘍治療剤)、「アジルバ」(高血圧症治療剤)、「デクスラント」(逆流性食道炎治療剤)、「アログリプチン(国内製品名:ネシーナ)」(糖尿病治療剤)、「ユーロリック」(痛風・高尿酸血症治療剤)、「コルクリス」(痛風治療剤)、「タケキャブ」(酸関連疾患治療剤)の順である。
かつては農薬、ウレタン樹脂、動物用医薬品、うま味調味料およびビタミン・バルクといった非医薬品事業も手がけていたが、これらは2000年から2007年にかけて、それぞれ、住友化学、三井化学、シェリング・プラウ、キリンビールおよびBASFとの各合弁会社に順次移管し、従業員も転籍させ、現在は、それぞれ合弁相手の完全子会社となっている。活性炭・木材保存剤事業も分社化を経て、大阪ガスに株式譲渡された。また子会社だった「武田食品工業株式会社」も、2006年4月3日にハウス食品との共同出資による「ハウスウェルネスフーズ株式会社」に移行し、飲料部門を含む食品部門からも撤退した[注釈 1]。さらに、2021年には、アリナミン、ベンザなどの一般用医薬品の製造・販売子会社だった武田コンシューマヘルスケア株式会社(現・アリナミン製薬株式会社)の株式を米国ブラックストーン・グループなどのプライベート・エクイティ・ファンドへ譲渡、医療用医薬品に事業を絞り、現在に至る。これら事業譲渡を反映して、2004年7月1日に英文社名を「TAKEDA CHEMICAL INDUSTRIES, LTD.」から、現在の「Takeda Pharmaceutical Company Limited」に商号変更している。
2016年6月に監査等委員会設置会社となり、2022年現在、取締役15名のうち、12名を社外取締役とし、15名のうち、10名が外国人である。他社の執行役員に相当するものとして、クリストフ・ウェバー直属幹部でグローバルな事業運営組織の長により構成される「タケダ・エグゼクティブ・チーム」(TET)を設置し、多数が日本人以外の外国人で構成されている。2018年3月、東京・日本橋本町に、武田グローバル本社[注釈 2]が竣工し、7月にグランドオープンを迎えた。
沿革
1781年6月12日 - 初代武田長兵衛が薬種商を創業。日本の薬種取引の中心地であった大坂道修町に和漢薬の販売を開始。
1871年 - 洋薬の輸入開始。
1895年 - 大阪市に自社工場設立、製薬事業を開始。
1898年8月 - ウロコ印の商標登録を開始。
1908年6月 - 関東代理店「小西新兵衛商店」を開設。
1914年 - 「武田研究部」を設立。
1915年 - 大阪市淀川区に「武田製薬所」(現在の大阪工場)を開設。
1918年7月1日 - 大阪市淀川区に「武田製薬株式会社」を設立。
1920年 - 道修町一帯では店舗の道幅を広げ合わせて木レンガで舗装を行なった。
1921年
5月 - 新薬部東京出張所を開設。
7月 - 100%子会社「大五製薬合資会社(現・日本製薬)」を設立。
10月11日 - 100%子会社「天藤薬化学研究所(現・天藤製薬)」を設立。
1922年6月5日 - 当社の化学薬品部門を分離し、100%子会社「武田化学薬品株式会社(現・富士フイルム和光純薬)」を設立。
1925年
1月29日 - 武田長兵衛商店と武田製薬が合併し「株式会社武田長兵衛商店」設立(本社大阪、資本金530万円)。