戦国時代までは武士の多くがそれぞれの領地に住んでおり、平時は農業に従事していたので、この時代の侍屋敷は名主屋敷(東日本)や庄屋屋敷(西日本)、或いは代官屋敷などと呼ばれている。近世になり兵農分離が行われると、城下町に侍屋敷が集められ、侍町が形成されるようになった。侍町の多くは城郭の防御を意識して三の丸や外郭内などに計画的に配置され、基本的には城に近いほど身分が高く城から離れるほど身分の低い者の屋敷が建てられていた。こうした侍屋敷はその武士が所有するものではなく仕える主人から与えられるもので、出世や降格などにより地位が変われば屋敷も相応のものに替えられ、主人が転封となればその屋敷は明け渡さなければならなかった。ただし、主に上級の武士は郊外などに個人的に別邸(下屋敷)を構えることもあった。陣屋においては敷地内に小規模な侍屋敷を構えて住まわせることもあった。重臣クラスの侍屋敷では土塀や長屋門、式台を構え、下級のものでも書院造の座敷を設けるなど、格式を示す意匠が施されていた。
また、江戸時代には、上級の社家、医者、忍者なども武士に準じる身分・格式とされ、屋敷の様式も、概ね武士の屋敷に準じるものである。 秋田県仙北市角館の武家屋敷通り篠山伝建地区の御徒士町武家屋敷群島根県松江市の塩見縄手長崎県島原市の武家屋敷街鹿児島県南九州市知覧町郡の武家屋敷通り 侍町(さむらいまち)とは、侍屋敷が集まってできた町のことである。城下町や陣屋町の中にあることが多く、城や陣屋に関わる武士が居住した。現在は武家町と呼ばれることもあるが、武家町とは元来は大名や上級旗本の屋敷が集まった地域のことであった。 明治維新により侍屋敷は多くが国有地となり、売却・破却され、また戦災や都市開発により失われた。しかし、侍町の町並みを現在に伝える地域もあり、その一部は重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。 平家の落人伝承を持つ徳島県三好市東祖谷(旧東祖谷山村)、長崎県五島市(福江島)にも「武家屋敷」と呼ばれる住まいがある。東祖谷の外観は農家と同じく、五島市は民家の門塀にのみ面影を残す。 武士身分に含まれない(士分を持たない)足軽の住まいは侍屋敷とは呼ばれず、足軽屋敷と呼ばれた。下級の足軽は屋敷ではなく長屋形式の住宅であったため、この長屋は足軽長屋と呼ばれる。
侍町
弘前(青森県):重要伝統的建造物群保存地区(弘前市仲町)
角館(秋田県仙北市):重要伝統的建造物群保存地区。武家屋敷通り (仙北市)を参照
金ケ崎(岩手県):重要伝統的建造物群保存地区(城内諏訪小路)
水沢(岩手県奥州市)
佐倉(千葉県)
松代(長野県長野市)
金沢(石川県)
松阪(三重県)
篠山(兵庫県丹波篠山市):重要伝統的建造物群保存地区
松江(島根県):塩見縄手、松江市伝統美観指定地区
津和野(島根県)
津山(岡山県)
高梁(岡山県)
萩(山口県):重要伝統的建造物群保存地区(平安古(ひやこ)地区・堀内地区)
岩国(山口県)
安芸(高知県)
島原(長崎県)
杵築(大分県)
佐伯(大分県)
神代小路(長崎県雲仙市):重要伝統的建造物群保存地区
飫肥(宮崎県日南市):重要伝統的建造物群保存地区
出水麓(鹿児島県出水市):重要伝統的建造物群保存地区
入来麓
知覧(鹿児島県南九州市):重要伝統的建造物群保存地区
その他
侍屋敷の関連項目
町屋 (商家)
陣屋町
城下町
社家
小京都
足軽屋敷