正規空母
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^ 10月25日のサマール島沖海戦で第一遊撃部隊(通称“栗田艦隊”)が実施した戦艦「大和」などの砲撃戦で、日本側がアメリカ軍の「正規空母」数隻と遭遇(撃沈)したと報告している[25]
^ 栗田艦隊の戦闘速報では“二十五日〇七三〇 1YB指揮官|(宛略)|1YB機密第二五〇七三〇番電 敵ハ空母六隻(正規空母三隻)ヲ基幹トスル機動部隊ナリ 煙幕ヲ展開南東ニ避退我之ヲ攻撃中|無電 ”と報告している[25]。実際は第7艦隊に所属する第77.4.3任務群(クリフトン・スプレイグ少将)のカサブランカ級航空母艦(護衛空母)を「正規空母」と誤認した。
^ サマール沖海戦における第七戦隊(熊野鈴谷筑摩利根)の戦闘詳報では、正規空母(レンジャー型)、巡洋艦改造空母(インディペンデンス型)と報告している[26]。既述のように、実際は護衛空母群である。
^ 制式空母[27] 商船や巡洋艦を改装したものでなく、建艦の當初から航空母艦として設計されたもの。大東亞戰勃發以來、わが航空機の活躍に戰爭様式の變化を認識した米國は、急遽空母の建造に全力を傾注しはじめ、各種に亙つて厖大な建艦計畫を實行しつゝあるが、昭和十八年上半期のみでもエセックス二世レキシントン二世ヨークタウンバンカーヒルイントレピッド等の制式空母を進水せしめ、更に同年中に三十隻の多數を完成する豫定が立てられてゐる。
^ 同紙では、「九州南東海面に出現した敵機動部隊に對する攻撃戰果に關する十九日の大本營發表に正規航空母艦といふ耳新しい言葉があるが、これは最初から航空母艦として設計建造された空母で従来制式航空母艦と呼ばれたものと同義語である、敵米空母の呼稱にはこの正規航空母艦のほかに巡洋艦を改造した巡改航空母艦、商船を改造した特設航空母艦がある」と解説された[29]
^ (日本郵船)▲橿原、出雲[33]何れも二万六千七百噸)の兩船は商船として船出せず、正式空母隼鷹、飛鷹となり南太平洋海戰に参加したがサイパンにて空爆を受け沈没(以下略)(註:マリアナ沖海戦で沈没したのは飛鷹のみ)
^ 1943年5月、評論家アーネスト・K・リンドリー (Ernest Kidder Lindley) はカイザー造船所で多数建造中のカサブランカ級護衛空母商船設計流用空母。俗称:ジープ空母、赤ちゃん空母)について論評し、その際に空母群で行動する空母について「正式な空母 (true carrier) 」や「高速力で本格的な空母 (high-speed full-sized carrier) 」と表現している[34][35]
^ 航空機護衛艦(AVG)は、1942年8月20日には補助航空母艦(Auxiliary aircraft carrier)と改称して船体分類記号もACVに変更された。その後、1943年7月15日の類別の整理の際に、他の空母になぞらえて、護衛空母(Escort carrier)と改称し、船体分類記号もCVEに変更された[36]

出典^ a b c 戦史叢書43 1971, p. 66.
^ 「「第2章 作戦第1期(レイテ作戦)/4、情況判断の誤謬と「レイテ」快戦指導の経緯 統帥部を支配したる戦略思想に就て」、比島作戦第1期(原稿)(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C14061331900  p.1
^ a b 中川 1994, p. 7.
^ a b c 「第2次丹作戦戦闘詳報 昭和20年3月11日ウルシー在泊敵航空母艦特攻攻撃(1)(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13120380000  p.32
^ 「「第3、経過概要」、第3段作戦の構想と経過の概要 昭和18?20(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C16120699000  p.17
^ 戦史叢書43 1971, p. 648.
^ a b 「「昭和16年4月(6)」、昭和16年2月?5月 内令(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12070156500  pp.1-2
^ 戦史叢書43 1971, p. 75.
^ 戦史叢書43 1971, p. 626.
^ 戦史叢書43 1971, pp. 632?637航空本部の空母整備方針に関する意見
^ 「「昭和16年度(1941年)帝国海軍戦時編制(案) 昭和10年2月12日」、帝国海軍戦時編制(案) 昭和16(1941年)(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C14121165400  p.2(秩父丸、浅間丸、龍田丸)、p.4(大鯨、剣埼、高崎)
^ “日本が提案した商船武装制限 英米の優秀船を考慮”. Yuta Nipp? 1930.03.03. pp. 03. 2024年3月11日閲覧。
^ a b 「「戦況に関するご説明資料 3月7日」、昭和17年3月?昭和17年4月 大東亜戦争経過記録(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C16120686900  p.2
^ 「「昭和25年度戦時編制案 昭和13年10月」、昭和25年度 帝国海軍戦時編制案 昭和13.10(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C1412117640  p.4
^ a b 「「昭和17年5月27日?昭和17年6月9日 機動部隊 第1航空艦隊戦闘詳報 ミッドウェー作戦(1)」、昭和17年5月27日?昭和17年6月9日 機動部隊 第1航空艦隊戦闘詳報 ミッドウェー作戦(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C08030023800  p.12
^ 福井 2009, pp. 35?40.
^ 「「第5 欧米方面事情」、第3航空軍(司)情報記録 昭17.10.15?17.10.31(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C16120198600  p.1
^ 「「戦訓特報第28号 「サイパン」島作戦の教訓 昭和19年7月20日(1)、戦訓特報綴其の3(第25?35号)昭和19(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C19010114100  p.3〔 航母六、特空母八、戰艦六、巡洋艦八以上、驅逐艦一六以上、輸送船二〇數隻、油槽船四(出撃ノ氣配濃厚)〕、「「戦訓特報第28号 「サイパン」島作戦の教訓 昭和19年7月20日(2)、戦訓特報綴其の3(第25?35号)昭和19(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C19010114200  p.1

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