歌謡曲
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国民歌謡』は、それまで流行歌と呼ばれていた大衆歌曲を放送する際に、「はやるかはやらないか分からない歌を〈はやり歌〉とするのは適当でない」として「歌謡曲」として放送した[11]。当時、レコード販売によって流行を生み出すという「流行歌」の手法は風紀上問題視されることもあり、このラジオ放送では公共に広めるべき音楽の追求という目的があったとされる[注 5]

さらに国民歌謡は当初の目的を超えて軍国化し、戦時中の音楽は戦時歌謡軍国歌謡と呼ばれる。これらの戦中時代の楽曲についてはタブー視される傾向が強い。戦後、番組は『ラジオ歌謡』として再開する。しかし、戦後の歌謡曲の流行においてはNHKの歌の系譜が軽視される傾向があるが、その理由について藍川由美は「NHKが戦後、戦時中の音楽をタブー視し、『國民歌謠』から『國民合唱』の歴史を回顧しようとしないことが大きい」と述べている[42]
1945年?1960年代前半

戦後になると、ラテン・ハワイアン・ジャズなどの洋楽的要素を取り入れて、大人の雰囲気を漂わせたような、フランク永井石原裕次郎らが唄うムード歌謡が一世を風靡した。

1950年代後半、歌謡曲のジャンルの多様化はますます進行。ザ・ピーナッツの『可愛い花』(1959年)が多ジャンル化の契機とされている[43]。この曲は日本における本格的なポップ・ミュージック曲として話題となり、日本の歌手が歌唱するポップス曲は「和製ポップス」とも呼ばれるようになった(ただし日本でのポップ・ミュージック曲そのものは戦前にもあった)。1960年代に入るとカラーテレビに媒体が変わり、テレビにおけるプロモーションを重視したテレビ歌謡が発展していくことになる[注 6]
1960年代後半?1970年代前半:全盛期

1960年代中頃にはキングトーンズ弘田三枝子らによって和製リズム・アンド・ブルースという新たなジャンルも歌われるようになり、歌謡曲のジャンルの多様化も本格化した。また、ザ・テンプターズザ・タイガースらのグループ・サウンズも大ブームとなった。筒美京平を始めとする、川口真平尾昌晃馬飼野康二三木たかしらの優れた作曲家や、作詞家では阿久悠を筆頭に、千家和也なかにし礼山上路夫有馬三恵子安井かずみらがヒット曲を連発し、歌謡曲は黄金時代を迎える。フォーク岡林信康高石友也吉田拓郎らも若者から支持された。

1970年代に入ると、フォーク歌手やロック・グループなど、テレビ出演しない歌手も登場した。
1970年代?1980年代:アイドル歌謡曲

アイドル歌謡曲
Idol kayoukyoku
様式的起源歌謡曲、
日本のロックロックAOR
文化的起源1960年代(全盛期1970年代1980年代)
日本
使用楽器ボーカル
ギター
ベース
ドラムセット
サックス
関連項目
歌謡曲、J-POPフォークソング歌謡ロックニューミュージック日本のロック
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1960年代からすでに存在していたアイドル歌謡(アイドル歌謡曲)も、引き続きヒットを出し続けた。1976年3月発売のキャンディーズ「春一番 (キャンディーズの曲)」等のヒット曲がある。『現代用語の基礎知識』(1986年版)では、アイドル歌謡は松田聖子中森明菜などのアイドル歌手の音楽であると定義し、それ以前の「可愛い子ちゃん歌手」の時代からアイドル歌謡は存在していたものの、アイドル歌謡という一つのジャンルとして成立したのは1980年山口百恵引退後以降の現象であるとしている[44]1980年代においては、松田や中森のケースに見られるように、ニューミュージックやポップスのアーティストによる歌謡曲のプロデュースが一般的となった[45]

山口百恵

ピンクレディー

キャンディーズ

中森明菜

松田聖子

沢田研二

郷ひろみ

小泉今日子

工藤静香


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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