さらに国民歌謡は当初の目的を超えて軍国化し、戦時中の音楽は戦時歌謡や軍国歌謡と呼ばれる。これらの戦中時代の楽曲についてはタブー視される傾向が強い。戦後、番組は『ラジオ歌謡』として再開する。しかし、戦後の歌謡曲の流行においてはNHKの歌の系譜が軽視される傾向があるが、その理由について藍川由美は「NHKが戦後、戦時中の音楽をタブー視し、『國民歌謠』から『國民合唱』の歴史を回顧しようとしないことが大きい」と述べている[42]。 戦後になると、ラテン・ハワイアン・ジャズなどの洋楽的要素を取り入れて、大人の雰囲気を漂わせたような、フランク永井や石原裕次郎らが唄うムード歌謡が一世を風靡した。 1950年代後半、歌謡曲のジャンルの多様化はますます進行。ザ・ピーナッツの『可愛い花』(1959年)が多ジャンル化の契機とされている[43]。この曲は日本における本格的なポップ・ミュージック曲として話題となり、日本の歌手が歌唱するポップス曲は「和製ポップス」とも呼ばれるようになった(ただし日本でのポップ・ミュージック曲そのものは戦前にもあった)。1960年代に入るとカラーテレビに媒体が変わり、テレビにおけるプロモーションを重視したテレビ歌謡が発展していくことになる[注 6]。 1960年代中頃にはキングトーンズや弘田三枝子らによって和製リズム・アンド・ブルースという新たなジャンルも歌われるようになり、歌謡曲のジャンルの多様化も本格化した。また、ザ・テンプターズ、ザ・タイガースらのグループ・サウンズも大ブームとなった。筒美京平を始めとする、川口真や平尾昌晃、馬飼野康二に三木たかしらの優れた作曲家や、作詞家では阿久悠を筆頭に、千家和也・なかにし礼・山上路夫・有馬三恵子・安井かずみらがヒット曲を連発し、歌謡曲は黄金時代を迎える。フォークの岡林信康、高石友也、吉田拓郎らも若者から支持された。 1970年代に入ると、フォーク歌手やロック・グループなど、テレビ出演しない歌手も登場した。 アイドル歌謡曲 1960年代からすでに存在していたアイドル歌謡(アイドル歌謡曲)も、引き続きヒットを出し続けた。1976年3月発売のキャンディーズ「春一番 (キャンディーズの曲)」等のヒット曲がある。『現代用語の基礎知識』(1986年版)では、アイドル歌謡は松田聖子・中森明菜などのアイドル歌手の音楽であると定義し、それ以前の「可愛い子ちゃん歌手」の時代からアイドル歌謡は存在していたものの、アイドル歌謡という一つのジャンルとして成立したのは1980年の山口百恵引退後以降の現象であるとしている[44]。1980年代においては、松田や中森のケースに見られるように、ニューミュージックやポップスのアーティストによる歌謡曲のプロデュースが一般的となった[45]。 等は国民的人気を得た。「アイドル」も参照 歌謡曲とロックやAORが融合した音楽も流行する。
1945年?1960年代前半
1960年代後半?1970年代前半:全盛期
1970年代?1980年代:アイドル歌謡曲
Idol kayoukyoku
様式的起源歌謡曲、日本のロック、ロック、AOR等
文化的起源1960年代(全盛期1970年代1980年代)
日本
使用楽器ボーカル
ギター
ベース
ドラムセット
サックス等
関連項目
歌謡曲、J-POP、フォークソング、歌謡ロック、ニューミュージック、日本のロック
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山口百恵
ピンクレディー
キャンディーズ
中森明菜
松田聖子
沢田研二
郷ひろみ
小泉今日子
工藤静香
1970年代?1980年代:歌謡ロック
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