歌舞伎
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歌舞伎狂言の分類方法は人によって揺れがあり、時代物と世話物で2分する代わりにこれにお家物を加えて3分する用例[59]もある。
特徴西光亭芝國・春好齋北洲画『故人市川團藏十七囘忌追善狂言 平家女護嶋』四枚續物、文政7年9月大阪角座上演『平家女護嶋』(1824年)

歌舞伎の演目には他の演劇の演目にはない特徴がいくつかある。まず歌舞伎狂言は世界という類型に基づいて構成されている。「世界」とは物語が展開するうえでの時代・場所・背景・人物などの設定を、観客の誰もが知っているような伝説や物語あるいは歴史上の事件などの大枠に求めたもの[60]で、たとえば「曾我物」「景清物」「隅田川物」「義経物(判官物)」「太平記物」「忠臣蔵物」などがあり、それぞれ特有の約束ごとが設定されている。当時の観客はこれらの約束事に精通していたため、世界が設定されていることにより芝居の内容が理解しやすいものになっていた。ただし世界はあくまで狂言を作る題材もしくは前提にすぎず、基本的な約束事を除けば原作の物語から大きく逸脱して自由に作られたものであることも多く、登場人物の基本設定すらも原作とかけ離れていることも珍しくない。

複数の世界を組み合わせて一つの演目を作ることもあり、これを綯交ぜ(ないまぜ)とよぶ。世界ごとに描いている場所や時代が異なるはずであるが、前述のように世界はあくまで題材にすぎないので、無理やり複数の世界を結びつけてひとつの演目を作りだす。

江戸時代に作られた演目のその他の特徴として、その長さが長大なこと、本筋の話の展開の合間に数多くのサイドストーリーを挟んだり、場面ごとに違った種類の演出(時代物と世話物(後述))が行われたりすることなどがあげられる。前者はこれは当時の歌舞伎が日の出から日没まで上演した[注釈 14][注釈 15]ことによる。一方、後者は興行の中にさまざまな場面を取り込むことで多種多様な観客を満足させることを狙ったものである。

現在[注釈 16]ではこのような長大な演目の全場面を上演すること(通し狂言)はまれになり、複数の演目の人気場面のみを順に演じること(ミドリ/見取り[注釈 17])が多い。昭和のはじめごろまでは、演目を並べるときに「一番目」(時代物)、「中幕」[56](所作事または一幕物の時代物)、「二番目」(世話物)と呼ぶ習慣があったが、現在では行われていない。

また江戸時代には(当時における)現代の人物や事件やをそのまま演劇で用いることが幕府により禁止されていたため、規制逃れのため登場人名を仮名にしたうえで無理やり過去の出来事として物語が描かれるという特徴もある。しかし仮名といっても羽柴秀吉のことを「真柴久吉」と呼ぶ程度のもので、このように歪曲された演目の内容から真に描きたい事件を読み解くのは容易であった[注釈 18]
演目名と通称

江戸時代の歌舞伎狂言の演目名(外題(げだい)という)は縁起を担いで「割りきれない」奇数個の漢字で書けるものが選ばれることが多く、その読み方はを競って当て字や当て読みを駆使したものであるため、一見しただけではその読み方が分からないものも少なくない。こうした事情により、外題のほかにより親しみやすい通称がついていることが多く、この場合もともとの外題を通称と区別するために本外題と呼ぶ。また各演目の人気のある場面(段・場・幕など)には演目それ自身の通称とは別にその場面の通称がついている場合もある。

具体例は下記のとおりである。

演目そのものに通称がついている例:

都鳥廓白波』(みやこどり ながれの しらなみ) →『忍の惣太』(しのぶの そうた)

大塔宮曦鎧』(おおとうのみや あさひの よろい) →『身替り音頭』(みがわり おんど)

慙紅葉汗顔見勢』(はじ もみじ あせの かおみせ) →『伊達の十役』(だての じゅうやく)

『刈萱桑門筑紫?』(かるかや どうしん つくしの いえづと) →『刈萱道心』(かるかや どうしん)

青砥稿花紅彩画』(あおとぞうし はなの にしきえ) →『白浪五人男』(しらなみ ごにんおとこ)

与話情浮名横櫛』(よはなさけ うきなの よこぐし) →『切られ与三』(きられ よさ)

蘆屋道満大内鑑』(あしやどうまん おおうち かがみ) →『葛の葉』(くずのは)


特定の段に通称がついている例:

絵本太功記』(えほん たいこうき)十段目「尼ヶ崎閑居の場」 →『太十』(たいじゅう)

心中天網島』(しんじゅう てんの あみじま)二段目「天満紙屋内の場」→『時雨の炬燵』(しぐれの こたつ)

国性爺合戦』(こくせんや かっせん)二段目「獅子ヶ城楼門の場」→『楼門』(ろうもん)

楼門五三桐』(さんもん ごさんの きり)二幕目返し「南禅寺山門の場」→『山門』(さんもん)

平家女護島』(へいけ にょごがしま)二段目切「鬼界が島の場」→『俊寛』(しゅんかん)

恋飛脚大和往来』(こいびきゃく やまと おうらい)二段目「新町井筒屋の場」→『封印切』(ふういんぎり)

義経千本桜』(よしつね せんぼん ざくら)四段目「道行初音旅の場」→『吉野山』(よしのやま)、四段目切「河連法眼館の場」→『四ノ切』(しのきり)

なお、返し(返し幕)とはいったん幕を引くが幕間を設けず、鳴り物などで間をつなぎ用意ができ次第すぐに次の幕を開けること[63]、切とは義太夫狂言のその段の最後の場面のことで[64]、すなわち『四ノ切』とは四段目の最後の場のことをいう。『義経千本桜』の四段目の切はケレンを使った派手な演出が有名な人気の場面で、これが上演されることが特に多かったことから、ただ「四ノ切」と言えばこの場面を指すようになった。

「外題」という語は「芸題(げいだい)」が詰まって「げだい」になったとする説もあるが、古代から中世にかけては絵巻物の外側に書かれた短い本題を「外題」、内側に書かれた詳題を「内題」と言っており、これが起源だとする説もある。外題はもともと上方歌舞伎の表現で、江戸歌舞伎では名題(なだい)といっていた[65]。こちらにも「内題(ないだい)」が詰まって「なだい」になったとする説があり、上方の「外題」と江戸の「名題」で対になることが、絵巻物起源説の根拠となっている。
演出舞台上の黒衣

歌舞伎の舞台には役者に小道具を手渡すなど演技の手助けをする役割の人物がいることがあり、この人を後見(こうけん)という。特に全身黒装束に身を包んだ後見を黒衣後見(くろごこうけん)、あるいは略して黒衣(くろご)という。役者以外の人物が舞台に登場しないことが原則の通常の演劇と違い、黒衣をはじめとした後見は観客の目から見える位置に現れる。しかし後見たちが舞台にいないものとして扱うのが歌舞伎の暗黙の了解である。

黒衣以外にも、紋付の後見(着付後見(きつけごうけん)もしくは袴後見という)やの後見(裃後見(かみしもごうけん)という)もいる[66]。さらに海や水辺の場面に登場する青装束の波後見(なみごうけん)、雪の場面に登場する白装束の雪後見(ゆきごうけん、白衣(しろご)とも)などの後見がいるが、波後見は幕末、白衣はおそらく明治以降に考案されたものである[67]

また歌舞伎の演出では拍子木(ひょうしぎ)あるいは略して柝(き)を用いることがあり、芝居の開始時の合図として打ったり幕切れで打ったりし、これらのときには2本を打ち合わせる[68]。また役者の足取りに合わせて打たれたるなど、動作や物音を強調するためにも用いられ(ツケ[注釈 19]という)、この場合には床に置いた板(ツケ板)に打ちつける[68]隈取の例

隈取はおもに時代物で行われる化粧法である。顔に線を描いたもので、もともとは血管や筋肉を誇張するために描かれたものだとされている。役柄により色が異なり、赤系統の色は正義の側の人間に、青系統の色は敵役に、茶色は鬼や妖怪などに用いられる。

見得は演目の見せ場において役者がポーズを決めて制止することを指す。映画におけるストップモーション技法に相当し、役者を印象づけたり舞台の絵画的な美しさを演出したりするのに用いられる。六方(ろっぽう)は伊達や勇壮なさまなどを誇張したり美化した荒事の要素をもつ所作である。歌舞伎では、当初は舞台への出のときに行われたが、後代になるともっぱら花道への引っ込みのときにこれが行われる。

外連(けれん)は宙乗りや早替り、仕掛けなどを使うなど観客を驚かせるような演出である。.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節の加筆が望まれています。

役者
名跡と屋号

一代に終わらず何代も受け継がれる歌舞伎役者の芸名は、名跡(みょうせき)と呼ばれている。名跡を継ぐことを襲名(しゅうめい)といい、役者たちは経験を経るにつれ、名跡を順々に取り換えて次第に大きな名跡を継いでいく。実子や血縁者が継承することが多いが、養子や実力のある高弟ら[70]に名跡を継がせることもある。ただし、ここでいう養子は法的な意味でのそれとは限らず、いわば芸の上での養子であることもあり、これを芸養子という。

役者たちは名跡とは別に名跡・芸名ごとにきまる屋号(やごう)を持っている(歌舞伎役者の屋号一覧参照)。歌舞伎では役者の登場時やセリフ・見得が決まった時など[注釈 20]大向こう(≒後ろの方の席)などから役者に声をかける習慣があるが、その時は芸名でなく屋号で呼ぶのが基本である。


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