歌枕
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これは当時の歌枕とされる言葉を集めたものであるがそこには、「道 たまほこといふ、(以下略)」「夜 ぬばたまといふ、またくらし、ぬまたまといふ、むばたまといふ」「山 あしびきといふ、しなてるやともいふ、(以下略)」[3]

など、現在でいう枕詞の例が見られる。当時はこれらも歌枕と称していたのである。なお能因の作には他にも『諸国歌枕』(別名『坤元儀』)という地名の歌枕を集めたものがあったらしいが現存しない。こういった歌枕を集めたものは貫之も撰していたといわれ、藤原公任にも今は伝わらないが『諸国歌枕』なる著作があったという[4]
地名の歌枕

しかし歌枕は時代が経つにつれて、次第に和歌で詠まれる諸国の名所旧跡のみについて言われるようになった。平安時代後期の歌人源俊頼の著書『俊頼髄脳』には、「世に歌枕といひて所の名かきたるものあり」とあり[5]、すでにこの頃には歌枕について、名所や由緒ある場所に限ることがあったと見られる。『能因歌枕』によればその地名には、都が平城京に置かれていた頃から親しまれてきた大和国の地名をはじめ、東は陸奥国から西は対馬まで六十一ヶ国に及び、それらは山や川、浦といった自然の景物、また橋や、里(さと)などの場所が取り上げられている[6]

もともと地名の歌枕は実際の風景をもとに親しまれてきたというよりは、その言葉の持つイメージが利用されて和歌に詠まれていた面がある。例えば上で触れた「あふさかやま」は古くより逢坂の関と呼ばれる関所でもあったが、この地名はたいていが男女が逢えぬ嘆きをあらわす恋の歌に詠まれた。「坂」・「山」・「関」は人を阻むものであり、思う相手に心のままに「あふ」ことができないものの象徴として、「あふさかやま」(あふさかのせき)が詠まれているのである。あふさかの せきにながるる いはしみづ いはでこころに おもひこそすれ(『古今和歌集』巻第十一・恋一)

「いはしみづ」とは、当時この逢坂の関にあったという岩の上を流れる清水のことである。自分が好いた相手に逢えない苦しさを人に訴えるようなことはすまい、だが言わぬと心に誓っても、その苦しさに涙のほうはこらえきれずこぼれてしまう…という趣意の歌であるが、ここでは「あふさかのせき」を恋の障害物、関で流れる清水「いはしみづ」を自分がこぼす涙にたとえている。このように当時の歌を詠む人々にとっては、逢坂と呼ばれる場所が実際どういう所であったかはさして重要なことではなく、自分の感情を譬える材料として使われたのであった。

また一方では、地名の歌枕は歌や物語で場面として繰り返し登場する中で、実際の風景から離れたところでイメージが形成されてきたものともいえる。たとえば「桜」なら「吉野山」、「龍田川」なら「紅葉」と、その場所ならこの景物を詠むというように組み合わせがある程度決まっていた。そして本歌取りが行われるようになると、そういった古歌にある組み合わせが受け継がれ、歌枕が持つイメージとして使われるようになった。こうしたイメージはのちに和歌だけではなく、硯箱をはじめとする工芸品や、着物などのデザインにも用いられた。今では和歌を詠むこととは関わりなく、全国各地にある歌枕は松島など観光名所のひとつとされている。
脚注[脚注の使い方]^ 『日本歌学大系』第壱巻7頁
^ 『日本歌学大系』第壱巻42 - 43頁
^ 『日本歌学大系』第壱巻所収『能因歌枕』より
^ 『日本歌学大系』第壱巻38 - 41頁
^ 『日本歌学大系』第壱巻38頁、152頁
^ 『日本歌学大系』第壱巻所収『能因歌枕』

参考文献

佐佐木信綱編 『日本歌学大系』(第壱巻) 風間書房、1969年

日本国語大辞典第二版編集委員会編 『日本国語大辞典』(第二巻) 小学館、2001年(第二版) ※「歌枕」の項

関連項目

歌枕の一覧

枕詞

その他

歌枕(かつらぎ) - 山形県東田川郡三川町大字押切新田にある字名。

典拠管理データベース: 国立図書館

日本


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