歌のトップテン
[Wikipedia|▼Menu]
1987年4月6日 - 2代目司会者として和田アキ子島田紳助が登場。

1987年5月11日 - 最高視聴率の23.0%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録。この週の1位は松田聖子の「Strawberry Time」。

1987年10月19日 - 同年に放送されたテレビアニメ『機甲戦記ドラグナー』から山瀬まみの「スターライトセレナーデ」がこの週の7位にランクイン。山瀬はとしまえんのイベントステージにて、中継出演した。

1988年3月28日 - 渋谷公会堂での生中継中に統合失調症[注 7]の男が乱入、この日第6位の『AL-MAUJ』の歌唱中だった中森明菜にノートを投げつけて警備員に取り押さえられるという騒動があった。この模様は一瞬ではあったがテレビでも放送[注 8]され、会場は騒然とした。中森やステージにいたミュージシャン達に危害は無かったが、この事件だけに限らず、この頃は光GENJIが毎週のように出演し、そのファンの歓声や奇行[注 9]が他のアーティストのトーク中や、その最中に光GENJIのメンバー達がアーティストが座る溜席に戻る際にも絶えず、生放送中に司会者が光GENJIのファンに注意を促しても治らずに、番組の進行の妨げになっていた事や、以前から毎週渋谷公会堂で生放送を行うのはどうなのかという意見や苦情が、月曜日に渋谷公会堂を利用したいという渋谷区民から相次いでいた事もあり、これを機に日テレGスタジオからの非公開生放送の割合が増えた。

1988年9月19日 - 本放送をもって渋谷公会堂からの放送を終了。それに伴い、9月12日と同日放送分を「さよなら渋谷公会堂」[2]と題して12日は『NTV紅白歌のベストテン』のオーケストラピットの舞台セット、19日は通常のMCセットに代わり『ザ・トップテン』で用いたエレベーターで登場するMCセットを再現した企画を実施した後、非公開に完全移行した。

1988年10月3日 - この日の2時間スペシャルより麹町・日本テレビ本社(当時)Gスタジオからの非公開放送に完全移行。

1989年10月9日 - 『トップテンシリーズ』が『NTV紅白歌のベストテン』開始から20周年を迎え、この日は『秋の特別企画・輝け!!紅白対抗トップテン』と題して2時間スペシャルを放送。番組のエンディングでは9月に『ザ・ベストテン』が放送終了した際、この番組にも「やめないで」という声が相次いだことを受けて、司会の和田が「唯一のランキング番組として頑張ります」と宣言した。また、『ベストテン』の終了発表時にもレギュラー放送で紳助とこのことについて触れた上で「この番組は続けて参ります」と宣言している。しかし、結局その半年後に終了することとなった。

1989年10月16日 - この回より渋谷公会堂時代の修学旅行生招待に代わる形で学生10人グループをスタジオに招く「WADA組」という制度が開始。

1989年11月13日 - 石原慎一が、当時発売されたOVA作品『強殖装甲ガイバー』の主題歌「強殖装甲ガイバー」を披露。『ガイバー』の原作者でもある高屋良樹もスタジオに駆け付けた。

1989年12月25日 - 毎年末に発表していた年間ランキングが発表されず、「今夜はハチャメチャXmas!」と題した2時間スペシャルが放送された。ランキングは週間のみ本編終了後、リクエスト募集の前に「もうすぐトップテン」「アルバムトップテン」の要領で発表した。

1990年1月22日 - 小泉今日子の「学園天国」が1位を獲得。小泉はスケジュールの都合で欠席だったため、オリジナル歌手のフィンガー5が出演して歌った[3]

1990年3月19日 - レギュラー放送の最終回を迎えた。最終回の1位は光GENJIの「荒野のメガロポリス」で、ステージセットは本番組の台本の表紙を巨大化させたパネルのみであった。エンディングはステージセットの照明が落ちてホリゾントに「ありがとう さようなら」というメッセージが映されて締めくくられた。最終回視聴率は12.2%。

1990年3月26日 - 「今夜で最後!すべて見せます 紅白歌のベストテンから歌のトップテン?さようなら、ありがとう?」のタイトルで2時間に拡大した総集編を放送[4]。歴代の司会者[注 10]・登場歌手が昔の映像を見返す。ラストは歴代司会者と番組出演者が勢揃いしたところで、『哀しみのソレアード』(『カックラキン大放送!!』EDテーマとして知られる)をBGMに、徳光のナレーションで締めた。視聴率は15.7%。『NTV紅白歌のベストテン』以来20年半続いた『トップテンシリーズ』はこれで幕を下ろした。

エピソード

プロ野球の試合のない月曜日に試合が予定され、後楽園球場巨人戦の中継が入り、生放送が中止になった場合は、関東地区等一部地域では翌日の夕方16:00-17:00に録画放送されていた(雨天中止の場合はそのまま月曜20:00から生放送。当時は公開放送であったために会場に来た観客に考慮し収録を中止できず、そのため司会者と出場歌手はこの時間のスケジュールを押さえられていた)が、1988年に巨人の本拠地が後楽園から東京ドームに移行し、雨天による試合中止が基本的に無くなり、月曜20時に出場歌手のスケジュールを押さえる必要が無くなったため、月曜に試合が開催される場合にはその週の放送が無くなった。

19:00から2時間スペシャルとして放送する際には、19時台に他系列のネット番組やローカル番組を放送する関係上、19:30もしくは20:00から飛び乗り放送する地域もあった。そのため、19:30や20:00には改めて簡素なタイトルテロップを出すか、タイトルテロップをネット局側で被せるためのスペースを設けていた(月曜日に野球中継を放送した場合も同様の措置)。

ザ・ベストテン』(TBS)では、後年には一切出演をしなかったおニャン子クラブだが、この番組に関しては、裏番組『月曜ドラマランド』(フジテレビ)にメンバー出演等スケジュールの都合がつかない場合を除いて出演している。

1986年当時バップから発売されたファミコン用ゲームソフト『元祖西遊記スーパーモンキー大冒険』の取扱説明書には、番組観覧の応募券が印刷されていた。

ランキング・出演データ
年間トップテン1位獲得曲
シングル

年度曲名歌手名
1986年(昭和61年)BAN BAN BANKUWATA BAND
1987年(昭和62年)追憶五木ひろし
1988年(昭和63年)抱きしめてTONIGHT田原俊彦
1989年(平成元年)(発表なし) 

アルバム

年度作品名歌手名
1986年(昭和61年)NIPPON NO ROCK BANDKUWATA BAND
1987年(昭和62年)ノン・ストッパー荻野目洋子
1988年(昭和63年)光GENJI光GENJI
1989年(平成元年)(発表なし) 

連続トップワン記録(V6以上のものを掲載)

V9-
光GENJIガラスの十代

V8-光GENJI 「パラダイス銀河

V7-中森明菜DESIRE」(ザ・トップテンから継続)

V6-光GENJI「Diamondハリケーン」・工藤静香黄砂に吹かれて

初登場第一位を獲得した歌手・楽曲

中森明菜Fin」 (1986年)

松田聖子Strawberry Time」 (1987年)

少年隊ABC」(1987年) 「じれったいね」(1988年) 「まいったネ今夜」(1989年)

光GENJIパラダイス銀河」「Diamondハリケーン」「剣の舞」(共に1988年) 「荒野のメガロポリス」(1990年)

男闘呼組」(1989年) 「DON'T SLEEP」(1990年)

WinkOne Night In Heaven ?真夜中のエンジェル?」(1989年)

工藤静香くちびるから媚薬」(1990年)

トップテン入りしながらも一度も出演しなかった歌手

BOOWY 「B・BLUE」(1986年)


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:57 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef