欧米系島民
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その後日本人らが島内の木々の伐採や野獣の所在を決め、セボリーらも自らの生活に必要な分は自由に採るなどルールを決めている[1]。一行は続いて母島にも向い、同様の通達を行っている。

その後八丈島からも入植者が送りこまれ、開拓が始まる。なお生麦事件がこじれイギリスとの一戦が懸念されると、1863年文久3年)日本人全員に避難命令が出された。
明治時代1930年頃の欧米系島民

1875年12月21日(明治8年)明治丸が父島へ向かった。その時セボリーの息子ホーレス・セボリーやフランス人ルイ・ルサールを含む13戸68人(男性36人、女性32人)および日本人女性2名が父島で確認されている[1]。翌1876年(明治9年)小笠原島を内務省所轄とし、日本の統治を各国に通告した[4]1882年明治15年)に居住していた20戸72人全員が、帰化し日本人となる。
戦後詳細は「アメリカ施政権下の小笠原諸島」を参照

第二次世界大戦中の1944年昭和19年)7月、戦火が間近に迫っていることから小笠原諸島の全住民は、欧米系島民も含め本土へ疎開した。

戦後、1946年(昭和21年)に欧米系島民のみが帰島を許されたが、サンフランシスコ講和条約によって小笠原諸島は日本の施政権から切り離された。アメリカ統治時代は英語が公用語とされ、義務教育課程校のラドフォード提督初等学校 (Admiral Radford Elementary School) で英語による教育を受けた[注釈 1]アーサー・W・ラドフォード海軍大将は当時のアメリカ太平洋艦隊司令長官兼太平洋軍最高司令官で、1951年に初めて父島を訪れ、父島を核戦争時における核兵器補給基地として整備した。1952年3月1日から米海軍による父島の行政が始まったが、欧米系島民は米国市民権を求め、併せて父島の日本返還に反対する請願を行った。

1968年(昭和43年)の日本への返還後は、戦前からの移住民に加え、新たに本土から移住してくる新島民とともに共存している。アメリカ統治下で英語教育を受けた世代は、アメリカ本国に移住した者もいるという[4]
文化

日本に帰化した後も、キリスト教を信仰するなど彼らの文化を維持し続けている者もいる。

欧米系島民の姓として代表的なものは、セボレー→瀬掘・奥村(アメリカ系)、ワシントン→大平・木村・池田・松澤(アメリカ系)、ウェッブ→上部(アメリカ系)、ゴンザレス→岸・小笠原(ポルトガル系)、ゲレー→南・野澤(ポルトガル系イギリス人)などが挙げられる。
言語

言語については、言語学でいうところの言語接触を起こし、英語の中に日本語の語彙、または日本語の中に英語の語彙が混じる一種のピジン言語クレオール言語化した「小笠原方言」を用いていた。
出自

欧米系島民と呼ばれるものの、その出自は出版された航海日誌などで確認できるものとしては、アメリカ合衆国ハワイイギリスドイツポルトガルデンマークフランスタヒチマルキーズ諸島マリアナ諸島ポンペイ島など多種多様である。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ ただし欧米系島民の国籍は、同じ状況下にある沖縄琉球住民と同様に日本のままであった。

出典^ a b c d e f g h i j k l m 田中弘之『幕末の小笠原』中央公論社、1997年。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 4121013883


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