欧州委員会委員長
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ドロールは共同体に方向性や原動力を与えたことでもっとも成功を収めた委員長とされている[11]インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙は2期目の満了時にドロールの業績について次のように評している。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}(仮訳)ドロール委員長は欧州共同体を低迷から救い上げたのである。ヨーロッパ悲観論が最高潮にあったなかで、ドロール氏は委員長に就任した。もとはフランスの財務相でほとんど無名であったが、ドロール氏は活力と希望を欧州共同体と、沈んでいたブリュッセルの委員会に吹き込んだ。1985年から1988年にかけての1期目においてヨーロッパに単一市場を求める声を取り戻し、2期目を任されるとヨーロッパ人を経済、通貨、そして政治の統合というさらに野心的な目標に駆り立てた。—International Herald Tribune[12]

従来は欧州議会の判断をはさむことなく、欧州理事会が全会一致で委員長と委員会を任命してきた。ところが1993年発効の欧州連合条約で、欧州議会は委員長の任命について「諮問を受ける」権利と委員会全体に対する拒否権を得た。欧州議会はその諮問を受ける権利を委員長人事案を拒否する権利と考え、欧州理事会もその考え方をやむなく受け入れた[13]。その後この拒否権はアムステルダム条約で正式なものとされた。またニース条約では委員長の任命を全会一致から条件付き多数決で決することに変更された。これはつまり委員長の選任過程における欧州議会の立場が大きくなり、ある会派がいわば「政権会派」となる議院内閣制のような制度となった。とくに2004年の委員長の選任にあたっては、多くの候補者が挙げられたが中道右派グループが左派グループ、フランスやドイツに勝利した形となった[14]。さらに欧州議会がバローゾの提出した委員会人事案に対して否決し、バローゾは人事案の取り下げを余儀なくされるということが起こった[15]
任命バローゾ
2004年の選挙で勝利した欧州人民党に所属している

委員長と委員会の任命については、欧州連合条約第17条第7項でその手続きが以下のように規定されている。

(仮訳)欧州議会選挙の結果を考慮し、また適切な協議を行なったうえで、欧州理事会は条件を満たした多数でもって欧州議会に対して委員長候補を提案するものとする。委員長候補は欧州議会によって、その構成員の多数でもって選出されるものとする。委員長候補が必要な多数を得られなかった場合には、欧州議会は条件を満たした多数でもって、同様の手続きで欧州議会によって選出されるような新しい候補者を提案するものとする。理事会は次期委員長と協力して、理事会が委員会の委員として任命しようと提案するほかの人物の一覧を採択するものとする。委員候補は、加盟国からの提案に基づいて、第3項第2段と第5項第2段に定められた基準に従って選出されるものとする。
透明性

欧州理事会での条件を満たした多数で候補者を出してきたが、欧州議会が関与したり、欧州連合の政策方針が単一市場の創設から欧州連合の改革に変わってきたりしたことから、委員長候補の選定は大きな政治問題となってきた[16]。しかしながらこのような状況になってきたにも拘らず、欧州理事会の議論は専ら密室で行なわれている。ジャック・サンテールの指名においてはその議論が非公式に行なわれ、メディアは漏れ伝わる情報に頼ることとなった。このような選考過程は新たな基本条約で導入された協議の理念に反するとして、欧州議会の議員が不満を示した。

社会主義グループ代表のポーリン・グリーンは「欧州議会は民主的なプロセスを傷つける行動の看過を認めてはならない」とする会派の考え方を明らかにした[17]。1999年と2004年の選任においても同様の状況が起こり、バローゾの指名においては協議のプレスリリースを出すこともなく、各首脳の間での非公開の会合が行なわれた[18]。これについても欧州議会議員から批判され、欧州自由民主同盟代表のグラハム・ワトソンはバローゾの指名過程を「ユストゥス・リプシウスでの絨毯市」と表現し、「最小公倍数」しか生まないとした。また欧州緑グループ・欧州自由連盟共同代表のダニエル・コーン=ベンディットは欧州議会でのバローゾの演説の後に、バローゾに対して「あなたが最良の候補者であるならば、なぜあなたは最初に演説しなかったのか」と尋ねた[19][20]
基準

欧州理事会がこれまでに指名してきた委員長候補は加盟国で首相などを経験した政治家であることが多かったが、このことは必ずしも要件ではない。2004年、当時作成された欧州憲法条約案では、委員長候補の選出にあたっては欧州議会議員選挙の結果を考慮しなければならないという規定が盛り込まれており、これはつまり委員長候補は選挙で勝利した欧州規模の政党から支持を受けていることを求めている。この規定は2004年の委員長指名の時点では効力有していなかったが、直前の選挙で勝利した中道右派の欧州人民党が自らに属する人物を推すこととなった。この結果、欧州人民党はジョゼ・マヌエル・バローゾを候補者として選んだ[21]。また同様に、2009年の欧州議会議員選挙でも欧州人民党はバローゾの再任を支持し、実際に選挙に勝利したことで欧州理事会からバローゾの次期委員長指名を得た。

欧州理事会による選出にあたってはこのほかの基準として、候補者がヨーロッパのどの地域出身であるか、候補者がどのような政治的影響力を持つか、どのような言語を話すことができるか、出身国でどれほどヨーロッパ統合が進んでいるか、ということが挙げられる。具体的には、あまり大きな発言力を持たない加盟国からも支持を得ていることや候補者の出身国がユーロ圏シェンゲン圏に含まれていることが挙げられ、またフランスは候補者がフランス語に堪能であることを求めている[22][23]

委員長の指名には、大国出身者の次は小国出身者、左派系所属の次は右派系所属とする合意があるのではないかという仮説があり、実際にロイ・ジェンキンスからジョゼ・マヌエル・バローゾまでそのような法則にしたがっている。


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