櫻井敦司
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高校時代には体も大きくなったことで父親を殴ってやろうと考えたこともあったが、「殴ったら全てが壊れてしまうんじゃないか」と思い、実行できなかったという。

父は櫻井が18歳の時に、母はBUCK-TICKがブレイクし多忙を極めていた1990年に亡くなっている[20]。『JUPITER』と『さくら』の歌詞は、他界した母への想いを綴ったものである[20]

バンド活動が充実し始めた時期と父の他界が重なり、母への気兼ねから上京を躊躇っていたが、櫻井の胸中を察した母が後押ししたことで当時の職場を退職し上京を果たした[19]

2歳上の兄とは、櫻井が上京した前後の時期から絶縁状態となったが、後年和解し、1994年に櫻井が「笑っていいとも」のテレフォンショッキングに出演した際には兄より花環が贈られている。


群馬県立藤岡高等学校出身。高校時代は友人のほとんどが他校や年上の人物だったため、学校にいる間は一言も口を利かない日も多かったという。しかし高校3年次に友人が傷害事件を起こし収監されたことで、グループは空中分解してしまう。その後は同校の生徒とも交流するようになり、その中の1人に今井の実家へと連れて行かれる。これがヤガミトール以外のメンバーとの出会いとなる。のちに今井たちとBUCK-TICKの前身バンドである『非難GO-GO』を結成[19]

高校卒業後、一旦地元の自動車部品メーカーに就職。上述のように父の他界後に退職し上京。上板橋[21]の友人の家に身を寄せ、新宿界隈の婦人靴売場でアルバイトをしながらバンド活動を続ける。

バンド初期はドラムを担当していたが、ストレートなパンクロックからの転換を迎えていたバンドとの音楽的アプローチの齟齬により、当時のボーカリストが脱退したことでボーカルへと転向。後任のドラムには樋口豊の実兄ヤガミを迎えた。

ボーカルに興味を持ったのは、テレビなどで様々なボーカリストを観ていて次第に「俺ならもっと良く魅せられるのに」と想うようになり、日に日にボーカリストへの熱意が強くなっていったという。しかし当時のBUCK-TICKにはボーカリストが存在した為、ボーカルの穴が空いていたヤガミのバンド『S.P(スポッツ)』へボーカリストとしての加入をヤガミへ打診するも、断られている[19]

ちょうど同時期にBUCK-TICKのボーカリストの脱退が決定した際、櫻井が「俺にボーカルをやらせてほしい」と熱望したという。当初、今井は新たなボーカリストを迎える算段をとっていたが、櫻井の熱意が想像以上に強かったことから最終的に受け入れる運びとなった[19]

星野英彦は当時を振り返り「今井さんは、櫻井さんがボーカルやるのは想像すらしてなかったみたい。でも『絶対、俺がボーカルやった方がいい』って強く主張するんですよ。珍しく。全員がそれに押し切られた感じでしたね。あんな櫻井さん、初めて見たから」と語っている[21]

櫻井曰くこの一件は「ずっと周りに流されて生きてきた自分が生まれて初めてした自己主張」であり「初めて心の底から湧き上がってきた衝動」だったという[19][22]


2004年、デビュー17年目にソロ活動を開始し、国内外のニュー・ウェイヴオルタナティヴ・ロックの旧知の仲であるミュージシャンを招いて、シングル三枚、アルバム一枚、ライブDVDを一年強の間にリリースする。また北村龍平監督の中編映画『LONGINUS』、写真集『SACRIFICE photo and frame』、詩集『夜想』と、音楽媒体にとどまらない活動をみせた。

その他

デヴィッド・ボウイDEAD ENDDER ZIBETなどの他、バウハウスをはじめとしたゴシック・ロックなどを愛好している。

ソロアルバム『愛の惑星』に伴うツアーではボウイの「Space Oddity」のカヴァーを披露した。

2006年にCreature Creatureでカムバックを遂げたMORRIEとは前年に出された『ECTOPLASM』にライナーノーツを寄稿した他『音楽と人』で対談を果たし、ISSAYとはDER ZIBET・ISSAYのソロ・そしてBUCK-TICKとそれぞれの楽曲で共演しており、『TABOO』や『悪の華』などバブル期のバンドの音楽性には櫻井のゴシック・ロック志向が反映されているなど、自身にも大きな影響を与えている。

音楽の原体験としては、幼少期に地元デパートで行われていた山本リンダの歌謡ステージに「見てはいけないものを見てしまったかのような衝撃を受けた」と語っている[22]


無類の愛猫家で、ファンクラブの会報やバンドのオフィシャルサイトには愛猫(くるみちゃん、まるちゃん)の写真が頻繁に掲載されている。また、ツアーグッズでも愛猫をモチーフとしたグッズが制作されている(しかし、櫻井当人は猫アレルギーである)[23]

また、BUCK-TICKのメンバー共々相当な愛酒家でもあり、バローロなどの赤ワイン焼酎などがお気に入りである。

料理が苦手である。「暑いのでカレーでも食って汗を出そう」と思いカレーを作ったが、焦がして失敗して捨てたことがある[24]

車の運転はマニュアル車のみで「オートマ車は面倒くさく、黙っていても進んでしまうのでおっかない」と話していたが[24]、ラジオ番組「BUCK-TICK 櫻井敦司とくるみちゃんの部屋」第2回では「今ではオートマしか乗れない、楽でございます」と語った。
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