.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目には、JIS X 0213:2004 で規定されている文字(ハートマーク)が含まれています(詳細)。
ひやま のぶゆき
檜山 修之
プロフィール
本名檜山 修之[1][注 1]
愛称ひーちゃん[3]、勇者王[3]
性別男性
出生地 日本・広島県広島市中区千田町一丁目[4]
出身地 日本・広島県廿日市市[3]
生年月日 (1967-08-25) 1967年8月25日(56歳)
血液型A型[3][5][6]
職業声優
事務所アーツビジョン[7]
配偶者あり
公式サイト檜山 修之|株式会社アーツビジョン
檜山 修之(ひやま のぶゆき、1967年8月25日[2][5][9][10] - )は、日本の男性声優。広島県[10]広島市中区千田町一丁目[4]、廿日市市出身[3]。アーツビジョン所属[7]。 中学時代は帰宅部希望だったが、必ず何か一つ入部しなくてはいけないという決まりがあり、囲碁・将棋部から始まり、放送部、最後は書道部と3年間、部を渡り歩いていた[11]。中学2年生の時の放送部が最悪でつまらなく、3年生の時に辞めた[11]。高校進学時にも放送部に入部しようとこれっぽっちも思っておらず、「これで夢の帰宅部生活ができる!」と思っていた[11]。しかし友人が「オレ、放送部に入りたいけど、1人じゃイヤだよ。檜山、付き合ってくれよ!」と無理矢理引っ張られるようにして入部させられていた[11]。 声優になった理由は「食べていくため」と答えており、檜山によると高校生のころ「自分の好きなことで飯が食えたらいいな」と思っていた。第1希望は日本史が好きであり、歴史の研究家だったが、大学の史学科のレベルの高さに断念[12][13]。第2希望である声の仕事を選んだ当時、放送部に在籍しており、活動の一環として放送劇で老人、妖怪、坊主など幅広い役を演じ、「顔出しの芝居ではそうはいかないけど、声の芝居ならいろんな役ができる」と声の芝居の面白さに目覚めて[12]、こういう仕事をして生活が出来たら幸せと思い、養成所に入ることを決意する[14]。
来歴
生い立ち
声優になるきっかけ