檜垣
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

檜垣は清原元輔と親交を結び、肥後守の任期が終わって帰京する彼を送別する際「白川の底の水ひて塵立たむ 時にぞ君を思い忘れん」と詠んだという[2]。また、鎌倉時代に書かれた『無名草子』では、元輔の娘・清少納言を檜垣との間に生まれた子であるかのように記述しているが、現在では俗説の類に過ぎないと評価されている。

熊本県蓮台寺は、檜垣嫗が草庵を結んだ跡といい、境内には「檜垣石塔」も残る。
創作

室町時代、世阿弥の能『檜垣』によりその名は広く知られるようになった。肥後国岩戸で修行をする僧の前に老女が現れ、年ふればわが黒髪もと歌ったのは自分であり、白拍子として美しさを誇った生前の罪によって死後も苦しむ我が身を語る。僧の弔いを受け老女の霊は華やかかりし昔日の舞を舞って姿を消すという筋である。
脚注^檜垣説話と「檜垣嫗集」 : 伝承の史実性と家集の成立について 妹尾好信、広島大学国語国文学会、1985-06
^ 但し、史実では元輔は任地である肥後国で病没しており、帰京は適わなかった。

外部リンク

檜垣嫗集
『群書類従 : 新校. 第十二巻』 (内外書籍, 1937) 国立国会図書館デジタルコレクション

典拠管理データベース
全般

VIAF

国立図書館

日本

学術データベース

CiNii Books

CiNii Research


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:4790 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef