檀君朝鮮
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壇君という栄光の王が実在した、あるいは檀君が築いたとされる檀君朝鮮が存在したという証拠はほとんどなく、壇君が実在の人物だった可能性はゼロに近い、と研究者は語っている[5]。また『三国遺事』以前の古書・古記録によっても実在を立証できないため、檀君神話を自国の朝鮮民族主義歴史学の拠り所としている韓国北朝鮮を除いては、国際的には信頼性や価値がある文献とされていない[1]。中国の史書にはまったく登場せず[6]、初めて朝鮮の歴史書に登場するのも13世紀と遅く、「仏教の宗教説話」の一つとして出てくるだけである。通常は神話として扱われ、歴史事実とは看做されていない。また近年出現した偽書とされる『桓檀古記』『揆園史話』は『三国遺事』とは内容が異なっている[1]李栄薫は、「檀君神話は創作する過程において日本神話を借用しており、一面では対決した点とともに、多面では模倣した点がみられる」と指摘している[7]

「王倹」とは、中国三皇五帝の呼称であり、このことから、檀君は中国の三皇五帝神話模倣であることがわかる[1]

三国遺事』には、檀君朝鮮の最初の王である檀君と最後の王である否王及び準王だけが記録されており、その中間の記録がないため、檀君朝鮮の実在に疑問をもつ韓国の研究者も多い[8]。なお、檀君と否王及び準王の中間の記録はまったくないわけではなく、『揆園史話』『桓檀古記』には、檀君朝鮮47代の王名が記録されているが、20世紀に創作された偽書である[8]

三国遺事』は、中国の『捜神記』と酷似した史書とは名ばかりの多くの民間の奇怪な伝承を集めた怪奇歴史伝説の記録集という指摘があり[9]、檀君について「怪奇小説記事のなかの開国始祖」という評がある[9]

三国遺事』の檀君の建国神話は『朝鮮古記』を引用とするものであるが、檀君の建国神話は古代のオーラル・ヒストリーの一部である可能性が高く、その内容の多くは後世に追加されたものとみられる[10]

韓国主流の歴史学界は、檀君を「創作された伝説」として否認しているという指摘もある[11]
『三国遺事』

『三国遺事』が引用するが現存していない「朝鮮古記」によれば、桓因(かんいん、桓因は帝釈天の別名である)の庶子である桓雄(かんゆう)が人間界に興味を持ったため、桓因は桓雄に天符印を3つ与え、桓雄は太伯山(現在の妙香山)の頂きの神檀樹の下に風伯、雨師、雲師ら3000人の部下とともに降り、そこに神市という国をおこすと、人間の地を360年余り治めた。

その時に、ある一つの穴に共に棲んでいた一頭のが人間になりたいと訴えたので、桓雄は、ヨモギ一握りと蒜(ニンニク)20個を与え、これを食べて100日の間太陽の光を見なければ人間になれるだろうと言った。ただしニンニクが半島に導入されたのは歴史時代と考えられるのでノビルの間違いの可能性もある。

虎は途中で投げ出し人間になれなかったが、熊は21日目に女の姿「熊女」(ゆうじょ)になった。配偶者となる夫が見つからないので、再び桓雄に頼み、桓雄は人の姿に身を変えてこれと結婚し、一子を儲けた。これが檀君王倹(壇君とも記す)である。

檀君は、(ぎょう)帝が即位した50年後に平壌城遷都朝鮮と号した。以後1500年間朝鮮を統治したが、武王が朝鮮の地に殷の王族である箕子を封じたので、檀君は山に隠れて山の神になった。1908歳で亡くなったという。魏書云:乃往二千載有壇君王儉。立都阿斯達(經云無葉山。亦云白岳。在白州地。或云在開城東。今白岳宮是)開國號朝鮮。與高同時。古記云:昔、有桓因(謂帝釋也)庶子桓雄、數意天下、貪求人世。父知子意、下視三危太伯可以弘益人間、乃授天符印三箇、遣往理之。雄率徒三千、降於太伯山頂(即太伯今妙香山)神壇樹下、謂之神市、是謂桓雄天王也。將風伯雨師雲師、而主穀主命主病主刑主善惡。凡主人間三百六十餘事、在世理化。時、有一熊一虎、同穴而居、常祈于神雄。願化為人。時神遺靈艾一?。蒜二十枚曰。爾輩食之。不見日光百日。便得人形。熊虎得而食之。忌三七日。熊得女身。虎不能忌。而不得人身。熊女者無與為婚。故?於壇樹下咒願有孕。雄乃假化而婚之。孕生子。號曰壇君王儉。以唐高即位五十年庚寅(唐堯即位元年戊辰。則五十年丁巳。非庚寅也。疑其未實)都平壤城(今西京)始稱朝鮮。又移都於白岳山阿斯達。又名弓(一作方)忽山。又今彌達。御國一千五百年。周虎王即位己卯封箕子於朝鮮。壇君乃移於藏唐京。後還隱於阿斯達為山神。壽一千九百八?。唐裴矩傳云。高麗本孤竹國。周以封箕子為朝鮮。漢分置三郡。謂玄菟樂浪帶方。通典亦同此?(漢書則真臨樂玄四郡。今云三郡。名又不同何耶)。 ? 三国遺事、紀異第一.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。三國遺事/卷第一
『帝王韻記』

高麗末期の李承休によって1287年に編纂された『帝王韻記』には、桓雄の孫娘が薬を飲んで人間になって、檀樹神と婚姻して檀君が生まれたという。檀君は1028年後に隠退した。ただしこの書は散逸して現存していない。
檀君神話に対する評価

檀君神話には「平壌城を都とし、初めて朝鮮と称す」とあることから「王朝成立神話」に相当するが、「王朝成立神話」は、先に王朝が成立していることが前提となってつくられる。「王朝成立神話」の成立条件は、「王朝がすでに成立していること、王朝が成立しているばかりでなく、ある程度安定した政権が維持されていること、自分の政権以外にある程度強い力を持った政権が認識可能な範囲内に存在していること」であり、三韓時代は、高句麗丸都城帯方郡を巡って抗争しており安定政権ではない[12]三国時代は、百済、新羅、高句麗、日本が朝鮮半島で抗争しており、三国時代に「王朝成立神話」を朝鮮の名において宣言するには相応しくなく、統一新羅時代は安定的な政権が約200年継続し、隣国の唐は揺るぎない安定を誇っており、統一新羅時代こそ「王朝成立神話」が醸造されるに相応しい[12]。「王朝成立神話」の醸造時代は高麗でも有りうるが、10世紀以後における神話の成立は時代が降り過ぎている[12]

桓因桓雄を人間世界に遣わすにあたり持たせた「天符印」の「」とは御璽のことである。『説文解字』に「印、執政所持信也」とあり、「印章」とは、政治を執るものが信を明らかにするために所持するものである[13]。『正字通』に「印、秦以前、民皆金玉為印、竜虎鈕、惟其所好、秦以来、天子始用璽、独以玉」とあり、天子が御璽を使用するのは秦代以後であり、檀君神話には「三つの印」「三危太伯」「率徒三千」「人間三百六十余事」などの三あるいは三の倍数に当たる数字が登場し、物語の作者あるいは伝承者は、「三」という数字に軽くない執着をもっている[13]。『易経』に「有天道焉、有人道焉、有地道焉、三材而両之、故六、六者非宅也、三材之道也」とあり、この場合の「三」とは「天地人」であり、『説文解字』に「三、数名、天地人之道也、於文一?二為三、成数也」とあり、段玉裁の注には「王下曰、三者、天地人也」とある[13]。『説文解字』に「王、天下所帰往也、董仲舒曰、古之造文者、三画而連其中、謂之王、三者、天地人也、而参通之者也、孔子曰、一貫三為王」とあり、「三」という数字は、王為る者の象徴であり、「天地人」という概念が、「三」という数字に象徴され、この概念が定着するのは「天人相関説」を唱えた董仲舒漢代になる。桓雄に与えられた「三つの印」は、桓因の信頼を証明する印、地上の支配を許されていることを証明する印、地上に生きる人を支配することを許されていることを証明する印をあらわし、それらはとりも直さず「天地人」という概念が裏付けとなっており、檀君神話の成立は漢代以前には遡らない[13]


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