橿原市
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歴史藤原京橿原神宮今井町今西家住宅

神武東征の際、大和には多くの国津神がいて、神武天皇に抵抗したが、片居(かたい)または片立(かたたち)で破り、大軍が満(いわ)みていたので、改めて磐余(いわれ)と名付けた。また、古代の大和国高市郡遊部(あそべ)郷・久米(くめ)郷・雲梯(うなて)郷、十市郡神戸(かむと)郷の地であり、大和三山(畝傍山・耳成山・天香久山)は、古来から神聖な山として畏れ敬われてきた。大化の改新前代に置かれていた宮廷直轄領である六御県(むつのみあがた)は、倭六県(やまとのむつのあがた)ともいい、天皇に献上するための蔬菜を栽培する菜園の霊を祀り、添(そふ)・山辺(やまのべ)・磯城(しき)・十市(といち)・高市(たけち)・葛城(かつらぎ)の6つの(あがた)は、特別視された。市内には、2つの御県神社が存在している。天香山神社・国常立神社・高?神社・天岩戸神社・畝尾都多本神社畝尾坐健土安神社高市御縣神社十市御縣坐神社久米御縣神社河俣神社(高市御縣坐鴨事代主神社)・畝火山口坐神社天太玉命神社宗我坐宗我都比古神社など数多くの名神大社や延喜式内社が鎮座する。

飛鳥時代には、「八木村付曽武橋当世八木村に俗にそむぼう乃橋というあり。聖徳太子斑鳩の宮より筋違道太子道)を経て、曽武々の橋をわたり、八木の里を過ぎて、橘の宮に通い給いしなり」(玉林抄)とあり、聖徳太子は舎人調使麻呂と愛馬「甲斐の黒駒」を伴って曽武(蘇武)井で休憩されたと伝えられている。

694年に日本最初の都城である藤原京が造営され、都が平城京に移転するまで16年存続した。

戦国時代には今井町が一向宗の布教拠点として環濠城塞都市化し、織田信長軍と闘ったが武装解除されたものの検断権を許されて自治都市として発展し、『海の・陸の今井』と称された。

幕末から神武天皇建国の地として注目され、畝傍陵が造営され、また明治期には官幣大社・橿原神宮も創建された。

高度経済成長期には大阪市京都市奈良市などのベッドタウンとして人口流入が続いた。

沿革

1956年昭和31年)2月11日 - 高市郡八木町今井町畝傍町真菅村鴨公村磯城郡耳成村が合併して発足。

1956年(昭和31年)7月3日 - 高市郡金橋村新沢村を編入。

1956年(昭和31年)9月16日 - 市章を制定[2]

1956年(昭和31年)9月30日 - 桜井市の一部(大字池尻・南山・戒外・南浦・木之本・下八釣・膳夫・出合・出垣内)を編入。

1957年(昭和32年)7月1日 - 大和高田市の一部(大字箸喰)、磯城郡田原本町の一部(大字飯高・大垣・豊田・新口・西新堂)を編入。

1976年(昭和51年)10月1日 - 市旗を制定[3]

市域の変遷

明治22年明治29年昭和3年昭和31年現在
奈良県
高市郡橿原市
八木町
今井町
白橿村畝傍町
鴨公村
真菅村
金橋村
新沢村
十市郡磯城郡
耳成村

姉妹都市・友好都市
国内

宮崎市宮崎県1966年昭和41年)2月11日姉妹都市提携

海外

洛陽市中華人民共和国河南省2006年平成18年)2月12日友好都市提携

行政

市長:
亀田忠彦2019年11月12日就任、1期目)

歴代市長

特記なき場合「橿原市市勢要覧 資料編 2009」による[4]

代氏名就任退任備考
1好川三郎1956年(昭和31年)3月30日1972年(昭和47年)3月1日
2森義己1972年(昭和47年)3月26日1975年(昭和50年)3月3日
3三浦太郎1975年(昭和50年)4月27日1992年(平成4年)12月1日


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