機械式計算機
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世界で初めて量産された機械式計算機は、フランスのシャルル・グザビエ・トマ・ド・コルマ(フランス語版)が1820年ごろ発明したアリスモメーター(英語版)である。しかし、量産とは言っても月産1-2台で、しかも当初は信頼性が低かったという。1880年代には信頼性も高まったが、爆発的な人気を呼ぶということはなかった。その操作方法は鉄筆でホイール上の数字をダイアルし、手でクランクを回して計算を行うというもので、非常に時間がかかった。
オドネルの計算機オドネルの設計に基づいた機械式計算機

スウェーデン人の技術者ヴィルゴット・オドネル1845年 - 1903年)が1874年に、アリスモメーターを改良した計算機を開発した。彼はその設計を公表したため、世界各国でそれに基づいた機械が作られた。
矢頭良一の自働算盤矢頭良一の「自働算盤」、1903年の特許(日本国特許6010号)の第壹圖

日本の明治初期における計算器具等の発明については、特許類の他に内国勧業博覧会の出品記録について調査した報告によれば、いくつかの興味深いものも見つかっているが[3]、詳細は伝わっていない。

はっきりと機械式計算機の形態を持ち、かつ実際に作られたものとしては、矢頭良一(やず りょういち、1878-1908)による「自働算盤」(パテント・ヤズ・アリスモメトール:Patent Yazu Arithmometerとも)が、金属製で実用的な最初のものと考えられている。回転する円板を利用する点は同じだが、細かい構造などはオドネルなどのものとは異なっており、独自に考案したものとみられている。1901年に森?外を訪ね計算機の模型を見せ協力を要請したことが鴎外の「小倉日記」に書き残されたことから、後の再発見につながった。矢頭は計算機の販売で得た資金を元に動力航空機を研究したが、エンジンの試作の後に早逝した。

自働算盤の完成は1902年で同年特許を申請、1903年に日本国特許6010号を得ている。歯車式だが、他に見られる出入り歯車や階段状歯車ではなく、歯を左右に移動する独特の方式である。内部の計算方式は十進だが、入力はそろばんあるいは二五進法風に、ある桁における置数が2回の操作でできるよう工夫されている。乗除算の方式は、タイガー計算器などの加減算の回数をカウントアップする方式とは異なり、先に置いた乗数ないし除数をカウントダウンする方式である。さらに乗除算では桁送りや計算終了を自動に行う機構もあるとされ、改良型の特許(日本国特許18119号、後述)には乗算の場合の働きが説明されているが、判然としない。内山昭による現存機の確認の際には修理により動作を確認したとあるが、2010年の和田による報告では同機が改良型の特許のものと同型であること、乗除算のための機構があることなどが確認されたが、動作は確認できなかったという[4]

当時の価格で250円、約200台が作られ, 森の協力もあり陸軍省内務省農事試験場等に販売された[5][6][7][8]。矢頭は資金を得て試作のエンジンの成功をみたが飛行機の夢はならず5年後に病で没した。日本国特許18119号は父親の名義になっている。

その後機械式計算器としてはタイガー計算器が代表的存在になり、また小倉日記が紛失したことなどもあって、矢頭の自働算盤は忘れられていった(たとえば城憲三らによる『計算機械』には言及がない)。小倉日記が1950年代に発見されたことで、自働算盤が再発見され、現存機も確認された。現存機は後に北九州市立文学館に寄贈され、現在[いつ?]は同館蔵である。2008年7月には機械遺産の30番として認定された[9]

矢頭が特許を得た1903年は、くしくもライト兄弟ライトフライヤー号の初飛行成功の年であった。
タイガー計算器タイガー計算器(国立科学博物館の展示)

日本では大正時代に大本寅治郎により「タイガー計算器」が開発され、その商標は他のブランドも含め同系統の構造の計算機を指す、日本における代名詞になっている(商標の普通名称化)。1970年まで販売された[注 4]。『計算機屋かく戦えり』(ハードカバー版では pp. 154-155)によれば、大本は参考にした機械があるとは述べていなかったというが、基本的な構造は前述のオドネルの計算機に準じている。しかし、改良や高機能化は多岐にわたり、機械的な完成度の高さや、操作性のよいレバーによるリセット操作、累算カウンタの乗算と除算のモード切り替えが、最初の操作が加算か減算かによって自動的に選ばれるなどといった点は機能性も高い。
加算機
コンプトメーターコンプトメーター

コンプトメーター(Comptometer)は機械式加算機(きかいしきかさんき、mechanical adding machine または mechanical adder 等)の一種である。コンプトメーターはキーを押すだけで駆動される最初の加算機であった。

ドール・E・フェルトが1887年に特許を取得した。彼は、Felt and Tarrant Manufacturing Companyを設立し、「コンプトメーター」は同社の商標として使われたが、一般に加算機を表す言葉としても浸透した。

主に加算のために設計されたが、四則演算全てが一応は可能なものもあった。用途に応じて様々なコンプトメーターが製造された。例えば、簿記、時間計算、英系重量単位の計算など、複雑なものでは多数のキー(100キー以上)を持ったものもあった。
バロースの加算機バロースの特許に添付された図面

ウィリアム・S・バロースは1888年8月21日、加算機の特許を取得した。バロース・アッディング・マシン社(Burroughs Adding Machine Company)は後にバロースと改称。電子式会計機やメインフレームを製造し、後にスペリー社と合併してユニシス社となった。発明家バロースの孫ウィリアム・S・バロウズは作家として有名である。

バロースの加算機の特徴は計算経過と結果を印字して紙に記録を残せるようになっていたことである。これによって利便性が格段に向上した。

加算機市場は20世紀に入ると驚異的な成長を記録することとなる。多数のベンチャー企業がこの市場に参入したが、コンピュータ時代にうまく対応できたのはバロースだけだった。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 「ディジタル」は、「指」などの意味のある digit に由来する語である。なお「アナログ」には、比例量的なという意味があり、以下で述べる機械式計算機の多くが、二進法的な機構ではなく、回転板の角度などで数を表現しているという点では、アナログ的な部分もある。
^ 計量言語学など、文系分野でも計算する分野はある。
^ 日本の「タイガー計算器」の場合、1968年頃に生産・出荷のピークを迎えた後、1970年前後に一気に急落した(出典:『計算機屋かく戦えり』p. 162, 164)
^ タイガー計算機株式会社は、以降事務器製造に転じ、1970年代中期以降はタコグラフや運送会社の運行管理コンピュータソフト開発に転じた。1991年には株式会社タイガーと改称、2021年でも現存する。

出典^ スイッチング理論の原点を尋ねて
^ ブレーズ・パスカル、「ペンやチップなしに規則的動作によりあらゆる算術演算を行うためB.P.により新たに発明された機械に関して大法官閣下に献呈する書簡」(Lettre dedicatoire a Monseigneur le Chancelier sur le sujet de la machine nouvellement inventee par le sieur B.P. pour faire toutes sortes d'operations d'arithmetique par un mouvement regle sans plume ni jetons)、Wikisource:fr:La Machine d'arithmetique、1645年。
^ 前島正裕「明治前期の機械式計算器の開発に関する一考察」、国立科学博物館研究報告 E類(理工学) 第39巻 pp. 59?
^和田英一「情報処理技術遺産 : 自働算盤」
^矢頭良一(手動計算機)
^The History of Japanese Mechanical Calculating Machines (英文サイト)
^“矢頭良一…大空への夢、計算機発明(福岡県豊前市)”. 読売新聞. ⇒http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/katari/0701/kt_701_070127.htm 2008年7月30日閲覧。  アーカイブ 2008年9月26日 - ウェイバックマシン
^矢頭良一の機械式卓上計算機「自働算盤」に関する調査報告国立科学博物館 産業技術史資料情報センター かはく技術史大系(技術の系統化調査報告書)(PDFファイル
^http://www.jsme.or.jp/kikaiisan/data/no_030.html

関連項目

計算機の歴史


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