1941年12月、真珠湾攻撃で戦艦を失い、戦艦部隊直衛防空兵力として行動していた空母を空母部隊に戻して「ヒットアンドラン作戦」で日本の拠点に空襲を開始した。その後、珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦で日本の機動部隊と交戦し、日本の進攻を阻止した[11]。
1943年、ガダルカナル島の戦いに勝利したアメリカ海軍は、兵力を艦型別に編成するタイプ編成と臨時に作戦任務部隊を編成するタスク編成を導入し、この編成で10月より反攻作戦を開始した[12]。1943年8月、空母「サラトガ」を中心としてフレデリック・シャーマン少将の指揮下でタスクフォース38が誕生し、終戦まで活躍した。この部隊は第3艦隊所属の場合にタスクフォース38、第5艦隊所属の場合にタスクフォース58と名称を変更していた。末期には正規空母・軽空母18隻で空母群5つを展開していた。詳細は「第38任務部隊」を参照
イギリス
イギリス海軍では、1942年初旬にインド洋作戦で、一航艦の来襲を察知した東洋艦隊の戦艦5隻、空母3隻からなる機動部隊が行動していた[13]。
沖縄戦では、空母4隻を中心とした機動部隊がアメリカ艦隊と行動していた。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
大戦以降
出典検索?: "機動部隊"
アメリカ合衆国
冷戦時代にアメリカ海軍は強大な空母戦闘群(現:空母打撃群)を整備した。ソビエト連邦軍の対艦ミサイルや潜水艦に備えて、防衛システムをさらに発展させた。ジョージ・ワシントン打撃群
原子力空母(ニミッツ級)1隻を中心にして周辺をイージス巡洋艦(タイコンデロガ級)、イージス駆逐艦(アーレイ・バーク級)、攻撃型原子力潜水艦(ロサンゼルス級、バージニア級)等で護衛している。随伴している艦艇は合計で5 - 6隻程度。
旗艦任務はブルー・リッジ級のような指揮専用艦や通信機能の充実している大型揚陸艦などが有機的に受け持つ。
ニミッツ級の最大搭載機数は90機であるが、冷戦の終結により現在はF/A-18C/D・E/F戦闘攻撃機が50機程度、EA-18G電子戦機が数機、E-2C/D早期警戒機が数機、対潜哨戒と救難用にSH-60 シーホーク数機、合計70機程度と一時期よりは搭載機数が押さえられている。
世界中に展開する空母打撃群には、高速で随伴する補給艦も同行している。また、水面下では原子力潜水艦が随伴していて、空母打撃群の前路哨戒やトマホーク巡航ミサイルの攻撃任務を行う。原子力潜水艦よりも更に前方は、世界中に前方展開している陸上基地から飛来したP-3C地上配備哨戒機が前路哨戒をし、空母から飛び立ったE-2C/D早期警戒機が空を監視する。詳細は「空母打撃群」を参照ボノム・リシャール遠征打撃群
空母打撃群と並ぶアメリカ海軍のもう一つの機動部隊といえるのが遠征打撃群である。従来からあった両用即応群を拡張したもので、強襲揚陸艦(ワスプ級)、ドック型揚陸艦・輸送揚陸艦(ホイッドビー・アイランド級、ハーパーズ・フェリー級、サン・アントニオ級)にイージス艦を含む水上戦闘艦艇を3隻と攻撃型原子力潜水艦1隻を加えて対地・対空・対水上・対潜の攻撃能力を高めたものとなっている。上記の揚陸艦には約2,200名の海兵遠征部隊が乗り組んでいる。上陸作戦を行う場合にはこれらが主戦力となる。
強襲揚陸艦にはハリアーII/F-35Bを20機程度搭載可能で、限定的ではあるが空母打撃群の代替的な行動が可能となっている。詳細は「遠征打撃群」を参照
イギリス
戦後、イギリス海軍はイギリス帝国の衰退やイギリス自体の経済難・財政難によって規模の縮小を余儀なくされた。空母戦力も1966年度国防白書によってCVA-01級の計画中止と将来的な正規空母全廃が決められ、1978年のオーディシャス級「アーク・ロイヤル」の退役によりイギリス海軍から正規空母は消滅した。その代替としてSTOVL機を搭載した軽空母のインヴィンシブル級が建造され、これとSTOVL空母として改装されたセントー級「ハーミーズ」を中心とする機動部隊がフォークランド紛争で活躍した。
1990年代 - 2000年代
軽空母(インヴィンシブル級)を中心に駆逐艦(42型)とフリゲート(22型、23型)で護衛した。護衛艦艇は2隻-4隻程度。原子力潜水艦(トラファルガー級)を同行させる事もあった。アメリカ海軍と同じくトマホーク巡航ミサイルを発射する能力を持たせていた。