作中においてジャンプイメージングのために使用する目的で登場する少女漫画は、作品のリアリティを目的として著名であった少女漫画家に原稿依頼を行い制作されたものである。制作協力者のクレジットに「漫画原稿」として島崎譲・くら☆りっさ・礒田わたこなどの当時著名であった漫画家がクレジットされている[2]。
キャストも通常の2倍以上の人員になったために、都内で比較的最大規模のスタジオでも入りきらず、やむなく初日収録組と翌日収録組に分けて劇中の冒頭とクライマックスを中心としたベテラン組(若本規夫や飯塚昭三等)と主役を含めた若手組とで収録日を分けたという。ベテラン組との共演が初めてであるという若手(高野直子ら)は取材に対して「まず普通は共演できない大ベテランの方々に出会えて非常に緊張した」と懐古している[3]。
当時著名かつテレビにも出演していた林原めぐみや三石琴乃、日のり子は後に「スタジオの雰囲気に加えて作品のスケールが凄すぎてついていけなかったが、主役の南央美がTV版の大まかなシナリオなどを教えてくれたおかげで、ある程度内容を把握できたので、収録が上手く進んだ」と懐古している。なお、ハーリー役の日は作中の「もしもし、僕ハーリー」の台詞テストにおいて『はりもぐハーリー』のハーリーの声でかましてやろうと思ったが、根が小心者であるのでできなかった、と冗談交じりでインタビューに答えている[4]。
三石琴乃は冒頭の「マユミおねーさん」として出演し子供を黙らせるシーンではアドリブで「静かにしろ!落ち着けおら?」としたところ、監督から即OKが出たうえにスタジオ内が大爆笑だったと懐古している[5]。
『ナデシコ』に関与していなかった業界関係者が友情協力としてクレジットされている。著名な一例だとアニメ監督の幾原邦彦がクレジットされているが、これは監督の佐藤がコンテなどの原稿をコピーしている最中にたまたま『少女革命ウテナ』の打ち合わせでスターチャイルドを訪れた際に、コピー作業に手間取っている佐藤の姿を見かけ、作業を手伝ったことへの感謝と他作品の監督にコピー作業を手伝わせたことへの謝意からクレジットに名前を刻んでいる[6]。
脚注^ 「1998年日本映画配給収入」『キネマ旬報』1999年(平成11年)2月下旬号、キネマ旬報社、1999年、175頁。
^ 『月刊ニュータイプ』1998年7月号の『機動戦艦ナデシコ』特集にて詳細が記載されている
^ 『月刊ニュータイプ』2000年頃に収録
^ 『月刊ニュータイプ』1998年8月号の劇場版『ナデシコ』特集にて
^ 『アニメディア』1998年8月号インタビューにて
^ DVD初回製造分の冊子および劇場パンフレットや当時のアニメ誌に詳細が記載されている
外部リンク
バンダイチャンネル
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