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出典検索?: "機動戦士ガンダム"
キャラクターデザインはアニメーション・ディレクターとして作画の中心となった安彦良和が、メカニックデザインは主に大河原邦男が担当した。
企画は当初、「スタジオぬえ」の代表(当時)の高千穂遙がサンライズのスタッフに勧めていたハインラインの小説『宇宙の戦士』のコンセプトを参考に、総監督の富野善幸のプランも相まって進んでいた[19][20]。その頃のサンライズ制作のアニメにはスタジオぬえが参加することが多かったが、そのデザインは線が多く複雑で、SF考証にもうるさかった[19][20][21]。アニメーターとしてはシンプルなデザインに越したことはなく、テレビアニメにはあまり理屈を持ち込むと自由がなくなるため、それまでのスタジオぬえとの仕事の経験から自分が消耗することを恐れた作画監督の安彦良和は、「あえて『ぬえ』ではないところに発注したい」と発言した[19][20][21]。当時、アニメ業界でメカデザインを手掛けていたのはスタジオぬえのほかにはタツノコプロ出身の中村光毅と大河原邦男が設立したデザインオフィス・メカマンしかなかった[12][21]。また、安彦が「エンターテインメントを考えた場合、タツノコから来た人のほうがいいのではないか」と考えたため、美術に中村が、メカニックデザインには大河原が参加することが決まった[注 6][12][20]。
声優のキャスティングは音響監督の松浦典良による。後年の富野のインタビューによれば、アムロ役の古谷徹、シャア役の池田秀一からA、B、Cといった端役に至るまでほぼ全員が「はまり役」であり、演技指導もほとんどしなかったという[22]。 初回放送時の視聴率は名古屋地区で平均9.1%、関東地区で5.3%[23]と振るわなかった。 視聴率低迷のため、スポンサーの要望によって量産型の他にいわゆる「やられメカ」を毎回出すことになり、試作機が投入されたという設定で グフやドムなどの新MSやモビルアーマー (MA) が登場したが視聴率は好転しなかった[10][注 7]。 視聴率低迷は関連商品の不振につながり[25]、スポンサーから「シャアという陰気なキャラクターがいけない」と指摘され作中でシャアを左遷したが、今度は「シャアが何で出ないのだ」という抗議の手紙が殺到した[26]。
反響・評価
初回放映時の評価と後の社会現象